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7月, 2022の投稿を表示しています

美しき芸術「花火」

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 ようやく美しき花火大会のシーズンがやってきた。 今年の夏は花火を体感する月間と題して、伊豆半島を拠点に魂の喜びを感じるままに動き出す。 まず始まりは伊東温泉の花火から。 花火とは、あの爆発した音と色鮮やかなに彩る光の花が織りなす芸術である。 夏と言えば、蝉の声や海、流しそうめんにBBQなどを思い浮かべると思うが、なんといっても欠かせないものが「花火」だ。 さて花火とは一体どのようにできて、いつから始まったのか。 歴史と共に深掘りしてみましょう。 まず花火とは、火薬と金属の粉末を混ぜて包んだもので、火花に色をつけるために金属の炎色反応を利用して、混ぜ合わせる金属によって様々な色合いを創り出す。 まさに科学の集合体のようなものだ。 花火の始まりは、「狼煙」という文化から始まる。 元々火薬という文化が無かった頃の戦いは、主に武器同士の陸戦がメインであったが、偶然にも煉丹術師(中国の道士の術の一つで、不老不死の霊薬を作る人のことを指す)が火薬を発明して、火薬が軍事として使われ始めた。 これが1150年頃の南宋時代のことだ。 その後14世紀後半入り、商人により火薬がイスラム諸国に伝わり、武器として使われていた火薬が、イタリアのフィレンツェで現在の「花火」として使われるようになる。 すぐに王侯貴族たちで広がり、結婚式から王の継承式である戴冠式などで打ち上げられるようになり、本格的に花火が広がり始めた。 日本で打ち上げ花火が始まったのは、江戸時代まで遡り、享保18年(西暦1733年)に隅田川で行われた、水神祭をきっかけに始まったとされている。 当時江戸では大飢饉が起きており、多数の死者が出ていたところ、その死者たちの慰霊や悪霊退散のために水神祭が開催され、その際に打ち上げ花火が打ち上げられたのが最初だ。 始まりは灯篭流しとなどと同様に、鎮魂が目的としての意味があり、日本の古き良き魂が形となって台頭してきたのが日本の花火の由来だ。 今となっては夏の風物詩である「花火」であるが、 尺玉と言われる10号直径30㎝の花火が一般的な大きさで、開花直径が約300mの花火だ。 最大で40号直径120㎝の花火があり、開花直径が約750mの超どでかい花火だ。 花火の作られる期間は10号で約1か月半 40号となると10か月-1年かかるという。 打ち上がりから宙に舞うまで約6秒。 花火師たち...

わくわく波動は人を変える

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  この一週間は夏休みが始まると共に、流しそうめんや草津温泉、伊東温泉花火などイベントが盛り沢山だった。 そしてこの週はなんといっても 「あけましておめでとうございます」 マヤ暦の新年の始まりだ。 「赤い自己発生の月」の年だ。 赤い月の年は、一年を通して浄化が行われ、内なる感情やまだ表になっていない事柄や想いなどが表に出てくると言われる年で、社会的に見たら、日本政府や世界的に隠されていたことや真実が表になる年でもある。 その湧き上がる感情や事象に対して、目を背ければ、また違う形で表れてくるため、今年はとにかく全てを受け入れて、向き合い浄化することが大切である。 そしてさらに獅子座新月も重なるとてつもないエネルギーが強いウィークだった。 今回の獅子座新月は 端的にまとめれば「自己表現」がポイント。 自分らしさが表になり、自分の心から湧き上がる欲求や内なる存在が表になる力が強い。 つまりデトックス力が強く、人間関係や体内の毒素、内に籠った想いなどが表になる一週間だ。 このタイミングで体調を崩す人が多いのは、天体と星の影響をモロに受けているためだ。 浄化の年の始まりにふさわしい出来事ばかりだ。 まず大きく影響を受けたのは、仕事関係かな。 一年くらい結構濃く仕事をしていたメンバーの一人が、突然消えた。 消えたというのは、少し語弊があるかもしれないが、向こうからいきなり音信不通となるのだ。 宇宙の采配はいきなりやってくる。 しかも近しい人から。 このタイミングはしっかりと25日に浄化されて、26日の新年を迎えたのだ。 これを宇宙の采配として、なんと呼べるのか。 何かが離れていくと何かまた新しい出来事が舞い込んでくるのが、人生だ。 これが面白い。 この地球は循環するように創造されており、人それぞれキャパがあり、どこかの枠が余るとその枠に何かが入ろうとする法則がある。 これは人間関係や仕事、身体機能まですべてにおいて発動すると思っている。 空気を吸ったら、必ず吐く。 吸い続けることは不可能だ。 多分吸い続けたら、体がパンパンに膨れ上がり、いつか爆発する。 それと同じで、人間関係も仕事も循環するのだ。 その宇宙の采配とも呼べる、人生の流れをいかに観察して、キャッチして、その出来事が一体に何を教えてくれているのか。 その出来事をどう捉えるのかで、人生の進む道が変わる。 一つの...

大いなる調和の国「大和国」

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 伊豆旅 この二日は滝を巡る旅でもあった。 滝の凄いところはなんといっても 膨大な水の量にマイナスイオンたっぷりの空気。 山に雨が降り、月日をかけて山で自然にろ過されて、 山から川に流れ落ちる高さによって滝を作る。 川が海まで流れ、気圧の変化で雲を作り、また山に雨が降る。 まさに自然の摂理で飲める水が出来上がるのだ。 日本は大和国(山と国)であり、これだ雄大な山々があるため山の民とも呼ばれていた。 滝を見ていると自然の凄さに圧巻される。 海とはまた違い、膨大な量の水がずっと上から下へと流れるのだ。 どこからこんなにも膨大な量の水が流れ続けているのか、不思議な感覚だ。 滝の面白いところは、滝の水が落ちるスピードに合わせて焦点を合わせると、あたかも滝の水が止まって見える。 この原理は滝のスピードと自分の目のスピードが同じになることから、一瞬止まるのだ。 車のタイヤがあまりにも早く回転するとあたかも止まって見えるのと同じ現象だ。 その動作を上から下に視点がいったら、また上に戻して滝のスピードに合わせて視点を下げる。 そんなことを滝の目の前でマイナスイオンをたっぷり浴びながら、一人瞑想のように行う。 まさに軽いゾーンに入る「滝を味わ尽くす」とはこのことだ。 (と勝手に今決めました笑) 滝への想いはそれぞれあると思うが 滝があるって生きていく上で、これほど恵まれた環境はないと感じる。 人間が生きていく上で必要最低限の水は必ずいる。 そのためにアフリカのある民族たちは朝から水を汲みに行く。 水をすぐ確保できるこの日本という大和国の環境は、本当に恵まれている。 食料もあり、綺麗な空気もあり、そして水もある。 まさにユートピアのような環境だ。 ユートピアをディストピアに変えるのは、いつの時代も支配欲のある人間たちだ。 綺麗な自然の名所がある→観光地として人が集まる→お土産や食べ物などが売れる→自然を壊し次々建物を建てる→一時のブームが終わる→廃墟になる これが観光名所の負のスパイラルだ。 高度経済成長期からバブルがきて、資本主義社会が一気に頭角を現し、次から次へビルを建て、とにかくお金を刷ってばらまいた約30年。 そのツケが今まさにやってきている。 日本円の価値が崩壊だとか、不動産価格の崩壊だとか、食料危機だとか。 さまざま見解があるが、全てが一度リセットの方向へとエネルギ...

山々の世界

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天下峰 徳川家康の祖先にあたる松平平親氏が、天下泰平を祈願したとして語り継がれる山で、それを称して「天下峰」と名付けられた。 山頂付近には巨石が並ぶことから、今ではロッククライミングの練習場として巨石が立ち並んでいる。 山頂までの道のりは、王滝渓谷といって巨石の間を大量の水が流れる川となっている。 巨石とコケと川 まるでもののけ姫の世界に迷い込んだ感覚の山道だ。 夏になり登山ばかりへ行っている。 山は人生と同じで、大小さまざまで山道によって世界がまるで違うのだ。 スギやヒノキの針葉樹林が立ち並ぶところや竹藪道、綺麗な川が流れていたり、岩しかないごつごつ道など様々だ。 そんな道を山頂目指してひたすら登る。 無我夢中で登っているときもあれば、色んな雑念が脳内を駆け巡るときもある。 雑念が駆け巡るとき、登山の面白さの一つだと感じる。 ただ山を登っているだけなのに、なぜ雑念が出てくるのか。 登れば登るほど体力も水も食料も減り、追い込まれていく一方で、そのタイミングで出てくる雑念とは何なのか。 それを観察して向き合い、そしてその雑念は一体どこからやってくるのか。 追い込まれていくからこそ、その雑念にちゃんと向き合える。 これぞ多動式瞑想の一つだ。 (勝手に命名した笑) ウォーキングやランニングとは、また違った瞑想状態に入ることができ、登山瞑想はより深みへと没入することが可能だ。 自家製のマンサンダルを手に入れて、 足の裏の感覚が研ぎ澄まされたことで、さらに磨きがかかった感じがある。 ぜひ裸足の感覚に近いマンサンダルはおススメだ! 材料費は2000円前後で作成可能だ。 実際に作ってみて思ったのは、ワークショップだと6000-1万円くらいかかるみたいだが、今のご時世youtubeやSNSなど情報を探せばいくらでもやり方は出てくる。 一度トライして作ってみると、また新たな感覚が芽生え、普段履いてる靴の有難さ、しっかり作りこまれていると感じさせてくれる。 行動こそが自分のパラレルを変える唯一の方法で 何か行動すれば何かが動く。 動くから変化して成長する。 何もしなかったら何も起きない。 沢山行動して学び氣付き経験してきたからこそ、 色々な人生のネタがあり、今までの軌跡がある。 みんなそれぞれ違った軌跡があるからこそ、この地球は面白いのだ。 今まで培った軌跡は大切だが、これから作る軌跡...

宴 in 常滑

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 7月15日 常滑エコビレッジ 波動共鳴が強く、似たような人たちがちゃんと集まって形を作っていた。 どちらかと言えば、一人一人が自由にやりたいことをやり、個性を存分に出せる場所のような感じだ。 村というより、集落、集会所という感覚だ。 多種多様な人種が集まってて、様々な人と交流したが共通して言えることは、楽しいことが好き。 生きるとは、何より楽しく生きることであり、人生にマイナスなことなどない、ということを体現していた。 ちゃんと今を生きている人たちであり、このような村があってもいいとは思うが、自分が目指す理想の村ではなかった。 実際に作っている人たちを見たからこそ、自分の理想とする村がより明確に見えた。 そして今回大きな収穫がある。 久しぶりの誰一人知り合いのいない状況での参加だったため、少し緊張があった。 この刺激は久しぶりに自分の中で、何か芽生えるのか、わくわくしている自分もいた。 知り合いがいないからこそ、とにかく色々な人に話を伺い、仲良くなる。 その話をする相手と自分を俯瞰して観察すると、誰とでも普通に話ができている自分がおり、知らない人たちの集まりということをあまり氣にしていない。 言葉の通じる相手はその時点で友達のように話を進め、相手との会話を楽しくキャッチボールする。 「人類皆友達」という言葉がしっくりくる。 年齢や経験を重ねると臆病になっていく。 それは様々経験して成長してくると、何かを始めるときに、勝手に自分の経験と記憶から未来を予測して「大体こんな感じ」のように作り上げる。 すると今までだとすぐに行動できていたことが、ワンテンポツーテンポ遅れて動き出す。 子供の時のように好奇心のまま進むのは、大人になるとどうしても 躊躇する場面が多くある。 実際に誰一人知り合いのいない状況に置かれてしまえば、やるしかないのだ。 例えるなら高校を初めて通い始めた感じと同じだ。 誰も知らない人たちの中に囲まれて、隣の人や前の人と少しずつ仲良くなってクラス全体と仲良くなっていく。 あの時の初々しさやワクワクと緊張が交差する、高校時代の始まりを思い出させてくれた。 様々な人たちが集まっているからこそ、色々な見解や価値観を共有でき、新しい自分を発見できる。 全く知らない人たちと海に入り、BBQして、キャンプファイヤーして、ダンスする。 波動の繋がりで人は自然と深...

Back to the future!!

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2022年7月14日 3:39 山羊座満月🐐 今回の山羊座満月は、地球から物理的に一番近い満月。 通称「スーパームーン」 地球と月の距離が近いため、月が私たちに及ぼす影響は最も強い。 山羊座のテーマは 「対人関係」「パートナーシップ」「チームワーク」 誰と組むか、誰といるかで人生が形になり、そんな人間関係がしっかりと完成形に構築されていくのが、山羊座の特徴。 人は一人では生きていけず、仲間を頼り、チームとしてパートナーとして、心を開くことで山羊座パワーが発揮されていくでしょう。 そんなスーパームーンは 大切な人、大切な仲間、大切な家族など 自分の大切な人たちと過ごすことで より一層、山羊座満月パワーを存分に感じられると思う。 それでは500年前の世界へ Back to the future! 古き良き日本の文化 「白川郷」 500年前から今なお残る日本の歴史に触れ、感じ、そして住む先代の方々と交流して、日本を感じた。 日本の古き文化は地球と共にあり、自然の循環の中で合掌造りの家があり、畑があり、田んぼがある。 茅葺き屋根は時間が経つと土に還り、屋根がより強度になる ここで面白いのが屋根が土になると、屋根から木が生えていくるのだ、 まさに自然の摂理の中にある。 それが合掌造りの屋根であり、そこに住むお婆ちゃんたちから先代の知恵を様々授かった。 現地で見て、当事者の人たちから話を聞くのが何より知恵となり氣付きが多い。 そして白川郷はペルーの黒船来航した当時 元々硝煙の名産地であったとされており、 「硝煙」とはいわゆる硝酸カリウムのことで、銃やミサイルの「火薬」となるものだ。 硝煙の作り方として 村人のおしっこを桶に溜めて、牛糞やヨモギの葉、藁など混ぜこみ加熱する。 硝煙のベースはアンモニアが主であり、今でこそ化学式があり、どうしたら硝酸カリウムになるのか、ある程度わかるが、当時の江戸中期の人たちは、先代から受け継いだ智慧と経験から火薬を作っていたのだ。 教科書などに載らない、現地に住んでいるからこそ受け継がれている歴史を知り、改めて日本の歴史は素晴らしいと感じる。 おしっこですら再利用できる技術があり、人間は本来自然の摂理で生きていたら、無駄なものや捨てるものはないのかもしれない。 現代になり、技術の進歩に伴い、何でもすぐ手に入る便利な世の中になった。 しかしその便利...

「生」と「死」の狭間

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 2022年 7月8日 寧比曽岳 「生」と「死」の狭間を行き来する登山であった。 朝から衝動に駆られて、山へ行く。 天気もよく、気持ちの良い登山日和だ。 しかし初めての山は少々緊張がある。 朝一番だったので人も誰もおらず 電波も届かない山奥だったため、 もしも何か起きた場合、誰も助けを呼べない状況だ。 さらにどこの山へ行くと誰にも伝えていなかったため 滑落などして何か起きて動けない状況になったら 「本当に死ぬなぁ」と思いながら 山を登った。 その「死」に対する 不安や恐れは「生」を実感させてくれて 「生きる」という本能を蘇らせる。 「死」を隣り合わせに感じながら、登る山々はワクワクも同時に隣接する。 登りながら色々と脳内が「死」について走馬灯のように駆け巡り、自分が死んだ後ことを考えていた。 仲間たちのこと、家族のこと、仕事のこと。 自分の特性は「死」に直面する機会があればあるほど「生」を感じ、生きている実感をする。 そのように生きているといつか死ぬと自分でもわかっている。 しかしそれが特性なのだから、やめられない。 生まれ持った才能とも呼べる、このリスクジャンキー。 自分のことを俯瞰して内観して観察したからこそ、自分が一体どんな状況が一番わくわくするのか、楽しさを覚えるのか。 山を登りながら、自分の「死」と向き合い、興奮する。 (これだけ聞いてたら、単なる変人だ笑) ここ感じたのは、単なる自己満で死ぬなら良いが 仲間たちがおり、家族がおり、一緒に仕事をしている方々がいる。 ここからが今回の登山の氣付きだ。 「その残された人たちはどうなるのか」 今動いている仕事のことや財産的なものたち。 財産と呼べるほどのものはないが、動いている流動的なものはある。 いつか死ぬタイミングで考えていても、いざそのタイミングが来たら、放浪としてしまう。 だからいつ死んでもいいように、遺言書ほどではないが 死後どうしてほしいのか、家族含めて伝えておこうと思った。 そうしておけば、安心して氣にせずさらに攻めることができると思ったのだ。 この攻めの姿勢が自分の人生を創り、自分の特性により一層磨きをかける。 心身共に常にベストの状態でいることが、より楽しさやわくわくを生み出す原動力となる。 そんなこんなで山から戻ってきて 自分の在り方を見直し、身辺整理をした。 そして夜、母親と映画を見...

命懸けの登山

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 那須岳登山 茶臼岳 朝日岳 三本槍岳 登山とは「死」と隣り合わせだ。 山が高ければ高いほどリスクが高まる。 土砂崩れや遭難、急な天候の変化など 何が起きてもおかしくないのが登山だ。 昔からこの世で特に怖いものを順に並べた言い伝えでは 「地震 雷 火事 親父」 と成語大辞苑などに載っている。 まさにそれをリアルに経験することになった。 早朝から2000m級の茶臼岳を登頂して、次に朝日岳に向かっている途中、雲行きが怪しくなる。 軽く雨が降るくらいだろうと あまり雨雲に氣にせず、意気揚々とガンガン歩を進めていく。 すると案の定、朝日岳山頂付近にたどり着くと、雨が降り始める。 雲からの距離が近いため、雨の粒がとても大きい。 むしろ雨雲の中にいる状態だ。 山頂付近なので、雨宿りできそうな雨を防ぐ場所はない。 雨を恵みの雨として受け入れていた。 すると突然ゴロゴロと雷が鳴り始めた。 音の感じからすると20-30mくらいのめちゃくちゃ近いところでなっている。 ここで雷に打たれたら天命だと笑って話していたが、 いざ雷を目の前にゴロゴロなっているとさすがに恐怖がある。 そのタイミングでなんと 目の前に稲妻が落ちた。 光り輝く稲妻と共に体中に熱を感じて、右手にはビリっと電撃が走る。 本当にビビった。 ほんの数m先に雷が落ちたのだ。 山の上なので、木の下など逃げるところや遮るところもなく、どうすることもできないから、とにかく山頂付近にいては危険なので、急いで下山を試みる。 下山している間も上空ではゴロゴロと雷が鳴っているため、恐怖は続く。 この恐怖は「死」を連想させ、本当に死ぬ寸前の出来事であった。 とにかく一目散に下山しているが、なぜか心拍数が急激にあがり、血中のアドレナリンが騒いでいるのを感じる。 まだまだ雷雲が抜けないため、落ち着けないが、山頂付近から少し離れたため、少し安心できるスポットにたどり着いた。 一旦落ち着いて自分たちの起きている状況を、一緒に登山している友人とどんな状況か話し合った。 面白いことにお互い、体中の血の氣が騒ぎ、不思議なほど興奮しているという結論にたどり着いたのだ。 まさに「死」と隣り合わせの状況が 「生」を身をもって体感したのだ。 登山というのはいつでも「死」と隣り合わせであること。 だからこそ、生きることに真剣に向き合い、自分の今ある姿を見るこ...