宴 in 常滑

 7月15日

常滑エコビレッジ


波動共鳴が強く、似たような人たちがちゃんと集まって形を作っていた。

どちらかと言えば、一人一人が自由にやりたいことをやり、個性を存分に出せる場所のような感じだ。


村というより、集落、集会所という感覚だ。


多種多様な人種が集まってて、様々な人と交流したが共通して言えることは、楽しいことが好き。


生きるとは、何より楽しく生きることであり、人生にマイナスなことなどない、ということを体現していた。


ちゃんと今を生きている人たちであり、このような村があってもいいとは思うが、自分が目指す理想の村ではなかった。


実際に作っている人たちを見たからこそ、自分の理想とする村がより明確に見えた。


そして今回大きな収穫がある。

久しぶりの誰一人知り合いのいない状況での参加だったため、少し緊張があった。


この刺激は久しぶりに自分の中で、何か芽生えるのか、わくわくしている自分もいた。


知り合いがいないからこそ、とにかく色々な人に話を伺い、仲良くなる。

その話をする相手と自分を俯瞰して観察すると、誰とでも普通に話ができている自分がおり、知らない人たちの集まりということをあまり氣にしていない。


言葉の通じる相手はその時点で友達のように話を進め、相手との会話を楽しくキャッチボールする。


「人類皆友達」という言葉がしっくりくる。


年齢や経験を重ねると臆病になっていく。

それは様々経験して成長してくると、何かを始めるときに、勝手に自分の経験と記憶から未来を予測して「大体こんな感じ」のように作り上げる。


すると今までだとすぐに行動できていたことが、ワンテンポツーテンポ遅れて動き出す。


子供の時のように好奇心のまま進むのは、大人になるとどうしても

躊躇する場面が多くある。


実際に誰一人知り合いのいない状況に置かれてしまえば、やるしかないのだ。


例えるなら高校を初めて通い始めた感じと同じだ。


誰も知らない人たちの中に囲まれて、隣の人や前の人と少しずつ仲良くなってクラス全体と仲良くなっていく。


あの時の初々しさやワクワクと緊張が交差する、高校時代の始まりを思い出させてくれた。


様々な人たちが集まっているからこそ、色々な見解や価値観を共有でき、新しい自分を発見できる。


全く知らない人たちと海に入り、BBQして、キャンプファイヤーして、ダンスする。


波動の繋がりで人は自然と深まっていく。

同じ場にいて、価値観を共有したことで自分の心のキャパや受け入れる器量を改めて見直せた、良い機会となった。




To be continued

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