大いなる調和の国「大和国」

 伊豆旅


この二日は滝を巡る旅でもあった。


滝の凄いところはなんといっても

膨大な水の量にマイナスイオンたっぷりの空気。


山に雨が降り、月日をかけて山で自然にろ過されて、

山から川に流れ落ちる高さによって滝を作る。


川が海まで流れ、気圧の変化で雲を作り、また山に雨が降る。


まさに自然の摂理で飲める水が出来上がるのだ。


日本は大和国(山と国)であり、これだ雄大な山々があるため山の民とも呼ばれていた。


滝を見ていると自然の凄さに圧巻される。


海とはまた違い、膨大な量の水がずっと上から下へと流れるのだ。

どこからこんなにも膨大な量の水が流れ続けているのか、不思議な感覚だ。


滝の面白いところは、滝の水が落ちるスピードに合わせて焦点を合わせると、あたかも滝の水が止まって見える。


この原理は滝のスピードと自分の目のスピードが同じになることから、一瞬止まるのだ。


車のタイヤがあまりにも早く回転するとあたかも止まって見えるのと同じ現象だ。


その動作を上から下に視点がいったら、また上に戻して滝のスピードに合わせて視点を下げる。


そんなことを滝の目の前でマイナスイオンをたっぷり浴びながら、一人瞑想のように行う。


まさに軽いゾーンに入る「滝を味わ尽くす」とはこのことだ。

(と勝手に今決めました笑)


滝への想いはそれぞれあると思うが

滝があるって生きていく上で、これほど恵まれた環境はないと感じる。


人間が生きていく上で必要最低限の水は必ずいる。


そのためにアフリカのある民族たちは朝から水を汲みに行く。

水をすぐ確保できるこの日本という大和国の環境は、本当に恵まれている。


食料もあり、綺麗な空気もあり、そして水もある。


まさにユートピアのような環境だ。


ユートピアをディストピアに変えるのは、いつの時代も支配欲のある人間たちだ。


綺麗な自然の名所がある→観光地として人が集まる→お土産や食べ物などが売れる→自然を壊し次々建物を建てる→一時のブームが終わる→廃墟になる


これが観光名所の負のスパイラルだ。

高度経済成長期からバブルがきて、資本主義社会が一気に頭角を現し、次から次へビルを建て、とにかくお金を刷ってばらまいた約30年。


そのツケが今まさにやってきている。

日本円の価値が崩壊だとか、不動産価格の崩壊だとか、食料危機だとか。


さまざま見解があるが、全てが一度リセットの方向へとエネルギーが流れているのを感じる。


その根本にあるのは、自然と調和せず、自然を破壊し続けたことによる自然からの淘汰なのではないかと。


地球に生まれ、地球人として生活していることを軽視していることに問題があると常々思う。


僕らは人間であり、酸素も水も必要で、なければ生きていくことができない。

それには太陽があり、草木があり、自然が必要だ。


全てが偶然にも揃っているから僕らは地球で生きていける。

つまり生かされているのだ。


この生かされているという氣持ちがあれば、自然に対して地球に対して、そして周りの人たちに対して感謝の念が湧き出てくる。


生きているって生かされているって感謝だ。


何かに追われ、忙しくなり、やることが沢山あると

この生かされているということを時々忘れることもある。


そんな時こそ一旦落ち着いて

自然の中で数日間暮らしてみる。


ここ最近一番良いと思うのは

山の中で電波の届かないところで

ゆっくりのんびりと過ごす。


山の中にいると、今まで当たり前にあったものが何もない。

あるのは山に持っていったものや山小屋にある食料のみだ。


最低限生き延びるだけのモノに囲まれると

一体自分は何に執着して、何に追われてて、なぜ生き急いでいたのかと。


山の中ではお金がいくらあっても、意味がない。

大切なのは生きる上で必要な食料であり、水である。


恵まれた大いなる調和の国「大和国」を感じ

地球に生かされていることを体感した

計9つの滝を見て感じて色々と思う、二日間であった。




to be continued

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