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4月, 2022の投稿を表示しています

心の豊かさ=人生の豊かさ

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 心の豊かさ=人生の豊かさ だと感じる一日だった。 心の豊かさをどう表現すればよいか難しい。 端的に伝えられるものではない。 心が満たされているか、だと思う。 心が満たされてる人は、表情も優しく、言葉遣いも綺麗だ。 他の人にも満たしてあげたいという、気持ちになり、与える人になっていくのだ。 それが心が満たされている人の特徴だと思う。 お腹いっぱいな状態で、目の前にご飯を置かれても喜びは少ない。 もし隣の人が空腹だったら、まず間違いなくあげるだろう。 それがただ「心」に変わっただけの話。 この心の豊かさは、現代社会においてかけ離れている。 容姿やお金、社会的ステータスに目が行きがちだ。 社会的な地位を持ったから、豊かになるのか 莫大な資産を築いたから、豊かになるのか スーパーカーや豪邸があるから、豊かになるのか きっと自分以外の外側領域に意識が向かっていたら 本当の心の豊かさには、たどり着けないかもしれない。 人それぞれ考え方や価値観、生きているパラレルが違うから 豊かさも違う。 心が満たされ豊かな人は「与える人(Giver)」だ。 心が満たされているから、あまりある豊かさを誰かに与えていけるのだ。 豊かさは豊かさを生む。 これが陽の循環エネルギーである。 笑顔が伝染するのは陽パワーが表情に溢れているから、他の人にも自然と届いていく。 楽しくワクワクした人の周りには、楽しい人たちばかりだ。 逆に「怒り」「妬み」「憎しみ」 など負のエネルギーは負のエネルギーしか生まない。 誰かが怒りパワーをぶつける(負を与える側)→理不尽な理由で怒られる(与えられた側) →この与えられた側は、今度他の誰かに負のエネルギーをぶつける(今度は与える側に) ストレス発散という名の「愚痴」だ。 このように負の連鎖は負しか生まれない。 つまり「心」が 言葉や行動、表情、雰囲気、引き寄せる現象、物事の捉え方など 全ての出来事を「心」が表しているのだ。 心をいかにベストな状態に保っていることが 人生を豊かにするポイントでもある。 瞑想や運動、映画や読書、山登りや旅など 自分が自分らしくできる趣味や場所。 心が落ちつく状態など 「本来の自分」に戻れる瞬間があるかないかで 人生の充実度は大きく変わってくる。 外側に意識を向けるのではなく 自分の内なる声「心」を観察して 心が満たされる行動や言葉、...

湯河原リトリート ご縁の杜編

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無事に看板作りを終え 次に向かうは「ご縁の杜」 湯河原リトリートだ。 ここの宿に着いた瞬間から 氣の整い方が違った。 既に聖地韮山で整っている状態で、たどり着いてるから余計凄い。 ここの宿は 無添加、無農薬、そして水などすべてにこだわっており 料理も完全ヴィーガンで、各部屋には精麻が飾られているなど、他にないこだわりの宿だ。 ご縁の杜のミッションは 「地球と人の本来の在り方を研究し、氣付きと実践する力が湧き出る環境を創ること」 「それぞれの個性と力を発揮できる環境を創っていきたい! 一人一人が本来の自分に還り、自分の中にすでに在る素晴らしい力や環境を承認して、氣づきと視座を広げていく。」 という想いで創られているのだ。 まさに僕らが目指す「いきいき村」と全く同じ考え方だ。 そんな想いが詰まったリトリート場である。 ちなみに部屋の名前は「光を感じる」 これは魂を感じる部屋だ。笑 ご縁の杜には 瞑想ルームがあり、セミナーなど開ける会場がある。 僕らもそこを借りて 二つのパートに分けて、2時間みっちり話をした。 第1パート  「つつみんの領域展開講座」 第2パート 「いきいき村の未来像プレゼン」 二つとも深く濃い濃密な時間を過ごした。 まずつつみんの領域展開講座では 各々が繋がっている場所(いわゆるハイヤーセルフやエネルギーフィールドなど)をイメージして、自分の内面を形にする。 簡単に説明すると 自分の中にある、「内宇宙の冒険」のようなことだ。 余計わからなくなった人には 自分の観念や潜在意識を自分の理想などに切り替えるようなことだと思ってくれたらよい。 詳細が氣になる方は、直接つつみんに聞いてくれたら良き。 (きっと10分までは無料でやってくれます笑) 第2パートでは 各々が理想とする「いきいき村」の想いを表現する時間だ。 つつみんの領域展開のおかげさまで より深いチャンネルで 理想の「いきいき村」を話し合うことができた。 そしてみんなの集合意識に「未来のいきいき村」が埋め込まれたことで また一歩、地球が面白くなるパラレルになる時間であった。 これからの時代はいかに集合意識にアクセスして、より深い意識を共有することが大切である。 現実化するスピードが上がるのだ。 体感的には今までの倍速以上のスピードで、思考や想いが現実化するのを感じる。 この話はまたいつか要望が...

湯河原リトリート いきいき村看板作り編

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 聖地「韮山」&湯河原リトリート 今回のいきいき村イベントも いつも通りハプニング始まりで 誰かさんが電車乗る前の駅に、財布など入ったポーチを忘れて 湯河原駅を出られないハプニングから スタートだ。 今回も濃く深い内容になっているので 温かなご拝読を。笑 今回のメインは ・聖地「韮山」にいきいき村看板を立てること ・湯河原のご縁の杜でリトリート この二つだ。 まずは いきいき村看板作りから 看板を立てるとはいっても、道具も材料もないので、まずはホームセンターへ。 刷毛やペンキ、板や木、時々花火などを仕入れて いざ韮山へ。 韮山に着くと歓迎の雨。 ホームセンターでちゃんと カッパを買っていたので、カッパのユニホームに着替え 大粒の雨が降り注ぐ中でいきいき村看板作り。 まず聖地「韮山」に足を踏み入れ 大地のエネルギーを感じた。 どのように木を切り、土地を整えてメッカのロッジを立てる。 僕が構想している聖地のイメージを皆に共有して、ロッジや露天風呂の場所、形など詳しく話をして、集合意識にアクセスした。 簡単に説明すると 二階建てのロッジを作り、二階のベランダから外に出ることができる。 そこから露天風呂とサウナに通じる道があり、 その横には水風呂と整う場があり、木と木に吊るしたハンモックもある。 空きスペースには、BBQや軽いキャンプファイヤーなどができるように、セッティングするつもりだ。 着実にゆっくりではあるが、一歩ずつ進んでる。 大事なのはみんなの目でしっかりと見て どのような形にしていくのか、イメージできれば 具現化までの道のりは一直線だ。 今回の聖地韮山ツアーにより みんなの集合意識に構想が埋め込まれたため、具現化がより一層スピードを増していく。 今まで聖地の構想を細かく話をしたことなかったが 今回現場をしっかり確認して、リアルに「いきいき村」の拠点を体感できたのはとてもよかった。 しかも伊豆の透き通るような雨に打たれながら。笑 話を看板作りに戻し、 看板作りはなかなか一筋縄では進まなかった。 まず看板に下地を塗り、木が劣化しないように下準備をした。 そして乾いたところで、いざ入魂。 ちょうど5人だったので、「いきいき村」という文字を 一人一つ魂を込めて描く。 まずは僕が村長として「い」 次はつつみんが「き」 かねこっちが「い」 のりちゃんが「き」 そして...

山は神、木は氣

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 猿投山登山 山を登り、帰り道はダッシュで下る。 ダッシュで下山中の帰り道、 何かを立ち止まって食べている人を発見する。 その時に意識がその人の方へ向き 木に足をつまずき、こけそうになる。 このつまずきから、全てが始まっていた。 その時は気付かなかったが、そのタイミングで水筒を落としていた。 最後まで下りきり、車があるところまで数十メートルのところで、水筒がないことに気付く。 その瞬間、選択肢は二択。 戻って探す or 諦める 選択 戻って探す とりあえず走って山に戻り、どこかで見つかるでしょと 想いながら山へ戻る。 あの時つまずいたときに、意識が向いた人とちょうど会う。 その人が水筒を拾って前の人に渡してくれていたのだ。 山には一期一会の出会いがあり 同じ目的で山にはいるが、それぞれの想いや道、ペースも違う。 山頂で写真を撮ってあげたおじさんには、帰り際に車のクラクションで挨拶されたり 写真を撮ってあげた家族の方々と川に入り 水筒を見つけてくれた人や落とし物ボックスまで届けてくれた人、ほんとに沢山のご縁があり、最後に水筒が戻ってきたのだ。 人を思いやるありがたさ、どうにか届けようとしてくれた想いなど、ほんと感謝でいっぱいだ。 人として大事なところを改めて 山で出会った人たちや山の存在が氣付きを与えてくれた。 そしてさらに面白いのがこの一期一会に対して、人の温かさなどを深く感銘を受けたこと、 それは「天秤座満月」の人間関係やパートナーシップ、出会い、縁などの天秤座満月パワーの象徴でもあるような出来事だったのだ。 その夜に天秤座について調べたことで その出来事が天秤座満月の力によって導かれたのだと氣が付いた。 つまり、山を下ってるときに「木につまづいたこと」で、水筒を落としたからこそ、この一期一会のご縁の素晴らしさを体感することになったのだ。 木につまずくことは、元々この日のシナリオに組み込まれていたかもしれない。 山に行くことを選択したから、このパラレルになったのかもしれない。 今までのすべての選択から「木につまずく」という「今」が導かれたのだ。 もしくは「氣」につまずいたのかもしれない。笑 そして宇宙に試された。 「選択肢 戻って探す or 諦める」 まるでゲームのような選択肢だ。 この選択が大きな氣づきが生まれる選択であったこと。 このように「今」の存在...

166年ぶりぶりコンジャンクション

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166年ぶりの魚座に木星と海王星がコンジャンクション。 木星は拡大、発展、幸運を司る星であり 海王星は大きな力で物事を広げていく星。 それらの星たちが重なり 慈愛とやさしさ、無意識の世界を表す魚座にコンジャンクション(すべてが重なること)したことで 愛と感謝が拡大して、幸せが増幅するパワーが全開になる日。 そしてさらに「天一天上」という神様が天に登っている16日間が4月10日から始まっている。 この10日間はどの方位も吉方位となり、活動的に動けば動くほど、開運パワーで天が味方しくれるシーズンだ。 166年ぶりの魚座、木星、海王星の愛と感謝のコンジャンクション。 全方位吉方位の「天一天上」開運シーズン。 4月12日は凄い一日だ。 宇宙の采配にすべてをお任せコース。 ホテルの部屋や夕陽のタイミング、ミーティングなど すべての歯車がかみ合い そして次の世界へ行く導きがあった一日だ。 朝起きる→散歩→旧安田庭園→両国→都立大→恵比寿→御徒町→水道橋→夕陽→原宿→ビーガン料理→水道橋→サウナ(一日まとめる) まさにコンジャンクションだ。笑 元々予定を立ていたわけではない。 自然の流れで宇宙の采配によってこのような流れになったのだ。 それが何とも面白い。 動きには二つある。 自ら動く場合と自然の流れで動く場合 自然の動きの流れの中に自ら動くゾーンがあるのだ。 「動」の中の「静」 「静」の中の「動」 動き続けても空回りする場合があり 静かに止まり続けても何も始まらない。 「静」と「動」のバランスが大切だと日々感じる。 陰陽のバランスの話が出たので、今日は少し瞑想について話をする。 最近後輩から「瞑想」について質問が来た。 どんな質問だったかというと 瞑想法についてだ。 ある程度様々な瞑想法を自己流でトライしてきた経験を元に その子に新たな光を与えた。(と思ってる笑) その時思ったのは 最近バタバタしていたので(春になるとすべての活気が良くなるため、毎年春はとても多動症である) 瞑想をする時間を設けていなかった。 久しぶりに呼吸を整えて、瞑想状態に入ると、案外楽に「静かなる」状態に入り込んだ。 しかも思ってたよりも深くに。 瞑想をしている方ならお分かりだと思うが、何もない状態(いわゆる空)に入るとなんとも心地よく、一生ここにいたいと思えるほどの何もない空間にパラレル移行するのだ。 ...

感謝の誕生日

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 桜前線を過ごした一週間から 僕自身の誕生日がやってきたということもあり 春の暖かさと周りの方々の温かさを身をもって体感した。 誕生日とはこの地球に生まれた日のことだ。 毎年やってくるが 毎年感じることが違うのも面白い。 今回の誕生日は今までとは全然違う時間を過ごさせてもらった。 無事に28歳となり 元気な姿で誕生日を迎えられたことに心から感謝した。 今まで誕生日は勝手にやってくるものだと、思っていたが 今回初めて無事に迎えれたことに感謝、という気持ちが強かった。 ほんとに沢山の方々がお祝いメッセージやプレゼントをいただき こんなにも思っててくれたことが、何より幸せで嬉しかった。 春の桜ウィークから誕生日という 地球にお祝いされ、幸せが溢れた一週間を過ごした先週です。笑 最近強く感じるのは 宇宙の采配がより一層強くなり、合う人合わない人がはっきりしてきたかな、とこの頃思う。 それは予定を前々から立てていたにもかかわらず、ドタキャンが起きたり、体調を崩して中止になったり、理由は様々であるがとにかく会えないのだ。 するとそのドタキャン後に新たな吉報が届く。 なんてことでしょう。笑 これが宇宙の采配だと思うしかない現象が 現実的に起こるのだ。 それをしっかり宇宙の采配として認識できているから 面白い時代が始まったと感じる。 この時代、いわゆる「風の時代」は 流れるエネルギーがそもそも違う。 最近口癖で「循環」という言葉よく無意識に発言している。 なぜ、「循環」という言葉を発するのか。 その謎が最近理解し始めた。 先週かねこっちと共に美味しいお寿司をいただいて(お祝いしてくれました、ありがとう) その空間がなんとも不思議だった。 他の人たちも一緒にカウンターに座っているのが、いるようでいない。 同じ空間にいるようでいない。 僕らの会話が聞こえているようで、聞こえてない。 そんな感覚だ。 僕ら二人は、「アセンション」「宇宙の采配」「地球の次元」「風の時代」「5次元と3次元」 など現実とはかけ離れた話をカウンターしかないお寿司屋さんで、繰り広げてたのだ。 これはこれで客観的に見ても面白い状況だ。笑 その時にふと降りてきたのは 土の時代は「線(縦)のエネルギー」 風の時代は「円(縁)のエネルギー」 の星のエネルギー空間に地球がそもそも入り始めたのだと。 つまり地球が今ある...

日本古き良き桜週間

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 ついに今年の桜ウィークが終わってしまった。 桜満開で至る所に桜が咲き誇り、日本の四季の素晴らしさを感じる この一週間であった。 サクラといえば、ソメイヨシノ。 桜の開花と共に春の訪れを感じ、こんなにも桜の木が生えていたのだと実感する一週間でもあった。 桜が咲くことで見える世界が色鮮やかになる。 桜のピンクだけではなく、梅や椿など春の暖かさが花たちを華麗に咲かせるのだ。 桜たちが咲き誇り、この世界が色鮮やかになることが、春の訪れと個人的には思っている。 色鮮やかになるのと同時に気温も温かくなる。 気温が温かくなると気分も同時に上がってくる。 寒いと何もしたくない感じがあるが、暖かくなると外に出たくなる、何か行動をしたくなる、そんな気分にさせるのも春の始まりを感じ特権だと思う。 そしてこの一週間はとにかく桜を見に行き続けた。 東京、岐阜、名古屋、大阪、京都。 仕事が落ち着いていたこともあり、時間の許す限り公園や川、桜の有名なスポット、そしてお城。 日本の良き文化である四季を最大限体感できるところは、「お城」である。 お城には必ずと言ってよいほど、桜が植えてある。 それは昔の古き良き日本の文化がしっかり根付いているからだ。 春のお城に訪れると日本の良き文化を体感できるため、また来年の春お城に訪れると良い。 春に行くことでお城に対してや日本の文化に対して、また違った価値観を感じると思う。 今回初めて関西圏の桜を見に行ったが、京都の桜が今まで見た桜の中で一番歴史があり風情のある桜であった。 桜は開花して満開になるまでに約一週間。 そこから散るまで約一週間。 一年を通して2週間前後しか咲かないのだ。 その儚さと尊さに魅了され そして春の始まりの合図のように世界を色鮮やかにする桜。 春の風物詩である桜に取りつかれたように約二週間旅をした。 四季がある素晴らしさ。 それは日本ならではのこと。 日本人の感性が高く、様々な表現ができるのは四季のおかげだと思う。 春→夏→秋→冬 普段日本に生活をしていたら当たり前であるが、世界では当たり前ではない。 乾季か雨季か。寒いか暑いか。 など日本のようにはっきり季節が分かれているところはほとんどない。 その四つの季節があるからこそ、変化があるからこそ 心も体も価値観も感性も変化するのだ。 冬の時期に何か積極的に動こうとか新事業を立ち上げ...