山は神、木は氣

 猿投山登山


山を登り、帰り道はダッシュで下る。


ダッシュで下山中の帰り道、

何かを立ち止まって食べている人を発見する。

その時に意識がその人の方へ向き

木に足をつまずき、こけそうになる。


このつまずきから、全てが始まっていた。


その時は気付かなかったが、そのタイミングで水筒を落としていた。


最後まで下りきり、車があるところまで数十メートルのところで、水筒がないことに気付く。


その瞬間、選択肢は二択。

戻って探す or 諦める


選択 戻って探す


とりあえず走って山に戻り、どこかで見つかるでしょと

想いながら山へ戻る。


あの時つまずいたときに、意識が向いた人とちょうど会う。

その人が水筒を拾って前の人に渡してくれていたのだ。


山には一期一会の出会いがあり

同じ目的で山にはいるが、それぞれの想いや道、ペースも違う。


山頂で写真を撮ってあげたおじさんには、帰り際に車のクラクションで挨拶されたり

写真を撮ってあげた家族の方々と川に入り

水筒を見つけてくれた人や落とし物ボックスまで届けてくれた人、ほんとに沢山のご縁があり、最後に水筒が戻ってきたのだ。


人を思いやるありがたさ、どうにか届けようとしてくれた想いなど、ほんと感謝でいっぱいだ。


人として大事なところを改めて

山で出会った人たちや山の存在が氣付きを与えてくれた。


そしてさらに面白いのがこの一期一会に対して、人の温かさなどを深く感銘を受けたこと、

それは「天秤座満月」の人間関係やパートナーシップ、出会い、縁などの天秤座満月パワーの象徴でもあるような出来事だったのだ。


その夜に天秤座について調べたことで

その出来事が天秤座満月の力によって導かれたのだと氣が付いた。


つまり、山を下ってるときに「木につまづいたこと」で、水筒を落としたからこそ、この一期一会のご縁の素晴らしさを体感することになったのだ。


木につまずくことは、元々この日のシナリオに組み込まれていたかもしれない。


山に行くことを選択したから、このパラレルになったのかもしれない。


今までのすべての選択から「木につまずく」という「今」が導かれたのだ。

もしくは「氣」につまずいたのかもしれない。笑


そして宇宙に試された。

「選択肢 戻って探す or 諦める」


まるでゲームのような選択肢だ。

この選択が大きな氣づきが生まれる選択であったこと。


このように「今」の存在は過去選択してきた出来事で存在している。


人より一つの出来事をより深掘りする癖があり

いわば人生の謎解きゲームのような感覚で日々を過ごしている。


「木につまずく」という一つの宇宙の采配から

ここまで深掘りをして、たどり着く境地がある。


まさに地球を遊び尽くせ!

ということだ。


起きた一つ一つの現象をいかに楽しく深く、そして面白く捉えられるか。

地球を人生を隅々まで遊び尽くすために、このような氣づきや出来事を大切に捉えるようにしている。


そしてそうした氣付きをシェアすることで、一人でも多くの方々に何かのキッカケとなれば、と常々思っている。


人それぞれ人生に対して価値観や捉え方が違うが、このように物事を見る人もいるのか、という一つの人生の指標となれば、この上なく幸せなことだ。


なんか存在が認められた瞬間かな笑


今年初の登山はイベント尽くしの一日でした。



To be continue


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