~ほぼ地球一周旅~ 第五章「解放の地」
2022年11月11日
今日も最高の目覚めから始まった。
鳥の囀りと共に美しき地球が始まり、朝散歩中に
昨日ピサック遺跡に送ってくれたタクシーの運転手に遭遇。
町が小さいとはいえ、この朝のタイミングで奇跡的に出会うのは何かご縁を感じる。
時間的に言えば7時前だ。
昨日の夜も、町を歩いているとアロマオイルの兄さんとも偶然出会い、ピサックでの出会いはとても親近感があり、人と人との距離が近い。
元々この地とは、何か関係が深いのかと感じる。
11:11 ピサックの町にて
クスコの遺跡旅をお薦めされる。
そして向かうは、カルカへ。
向かう途中
モルモットの丸焼きが売っていた。
ペルー人はモルモットを丸焼きで食べるのが好きらしい。
文化が違えば、食べるものも違う。
僕らが豚や牛、馬を食べるように
彼らはモルモットや鶏肉を食べる。
日本とペルー
地球の裏側にいると感じるのは、地球のどの地域にいるかよって、その土地にあった生き方や価値観が大切となる。
例えば日本とペルーでは、時差が15時間あり
ペルーが昼なら日本は夜中だ。
つまり南米とアジア圏では、世界がまるで違う。
太陽の位置がズレて、ちゃんと地球が回っている、もしくは動いていることを感じる。
この時間軸のズレがあるから、地球のバランスが保たれているとも思う。
実際に地球が丸いのかはさておき、軸が違うため時間のズレが生じる。このズレを捉え方によっては、違う次元の地球とも捉えられる。
まさに多層多次元世界だ。
初めて南米にきて、元々いた日本の裏側に来ていることを日本の友達とコンタクトしていて思うことだ。
カルカの街はピサックより静かでゆっくりした田舎だ。
カルカに着いてまず向かったのは、フチェイクスコ遺跡へ
色々タクシーと話し合った結果
普通のタクシーの3倍くらいの値段がかかり、なぜかと聞き回り、実際に行ってわかったが
道はガタガタで山の上にあり、みんな行きたがらない笑
そりゃ高い値段を請求される
と遺跡にいって実感する。
学び多き人生だ。
このガタガタ道を上がり、本当に遺跡があるのか心配になるほどの道だ。しかしとても興奮している。
このハラハラドキドキが刺激症候群にはたまらないのだ。
フチェイクスコ3600mにある都市だ。
来てみて分かったのは
行きづらさ故に観光化していない
元々あったままの山岳民族の町である。
マチュピチュが世界遺産になったのは
きっと行きやすさもあるのでは、と感じるフェチェイクスコ遺跡にて思う。
マチュピチュ遺跡に行くのが楽しみだ。
フチェイクスコへ行く道中は、車一台しか通ることのできないガタガタ道を進み、一歩ずれたら崖だ。
石がズレて、タイヤが片足でもズレたらそのまま真っ逆さまに山から落ちていく。ギリギリの山道だ。
そんな山道を上がっていく時には、もちろん死の恐怖がある。
ここでアクシデントが起きたら、どのように車が山を駆けずり降りて、転がってペシャンコになり、僕らの体もぐにゃぐにゃになって、最後を迎える、と最悪のパターンもイメージできる。
つまり待ってるのは「肉体的死」だ。
その死と隣り合わせの状況を内なる自分が興奮しているのだ。
まさに命懸けの天空遺跡である。
カルカは内なる魂が外側に出てきて、喜びを感じることを動き出す地、「解放の地」だ。
ピサックはどちらかと言えば、癒しの場所であり、バンクーバーと似ている。
ヒーリングスポットだと感じる。
今回導きを与えてくれた、旅の友と話をしている中で氣付かされた。
一つの物事を俯瞰して捉えた時にどこまで範囲を広げて、マクロの視点で見れるかによって、細かくミクロ的視点で細分化ができるようになる。
我々の意識は常に色々な意識体とチャネリングされており、その意識がどこに向いてるか、どことconnectされているかによって、自分達のレイヤーが決まる。
自分でそのレイヤーを決められるということでもある。
75億人いる中で、75億通り以上のレイヤーがあり、その多層多次元世界をどこに設定するかによって、人生が決まる。
「自分で人生を創れる」ということだ。
つまり常にRPGの主人公は自分で、自分がどのように人生を歩み、どのレイヤーにチャネリングするかによって今の自分が決まると感じる。
カルカに来てから、レイヤーが宇宙意識に向かい(外宇宙の俯瞰)、内なる魂の喜び(内宇宙の探検)が同時に起きているの感じる。
マクロからミクロ
ミクロからマクロ
このカルカが持つ土地のエネルギーが、内なるものを呼び起こしているように感じる。
カルカでの初日だ。
to be continued
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