中秋の名月

 中秋の名月


一年で最も美しい満月とされる「中秋の名月」

中秋とは、旧暦の8月15日を指し、旧暦では7~9月を秋としているため、8月15日がちょうど秋の真ん中となる。またその頃は1年を通して最も月が美しい時期であるとされたことから、平安時代の貴族たちは、中秋の名月に月を眺めて和歌を詠む「観月の宴」を開いて楽しんだ、と記録されている。


また月は冬に近づくほど空の高い位置を通り、秋の空気は水分量が春や夏に比べて少なく乾燥しているため、澄んだ空気が月をくっきり夜空に映し出す。



それが1年で最も美しい満月「中秋の名月」と呼ばれ所以だ。


そんな美しく夜空を彩るうお座満月と共に、行ったのが「井戸掘り」だ。


人間が生きていくうえで必要不可欠な物資である、水を自分たちの手で創り出す。


これから高速移動が可能となる激動な時代を生き抜くためのサバイバル術だ。


やり方としては至ってシンプル。


まず穴を掘るところをピックアップして、3mの鉄パイプをそこに差し込む。

鉄パイプの上部に25㎏のオモリをつけて、後はそのオモリをひたすら上下に揺らして、鉄パイプを地面に突き刺していく。


3mの鉄パイプがある程度地面に埋まったら、引き抜き、4mの鉄パイプに切り替える。


3m→4m→5m→6m

と鉄パイプの長さを変えて、地面を掘っていく。


6m辺りまできたら、懐中電灯を鉄パイプに入れて、水脈にたどり着いたか確認する。


朝9時から、鉄パイプを埋める作業が始まり、

1箇所目で出る内心思っており、今回参加した約40名の方々は意気揚々と穴掘り開始。


しかし井戸堀りも人生と同じでなかなか予想通りにうまくいかないのだ。


1箇所目は5m付近で岩にぶつかり、作業を断念。

2箇所目は最初の場所から3mほど場所を変えて、穴掘り開始。


しかし2箇所目でも水脈にたどり着かず。

2箇所目が終わるころには、14時を回っており、作業開始から約5時間が経過していた。


最後の望みをかけて、3箇所目の穴掘り開始。

今回の井戸掘りマスターもここなら70-80%近くの確率で、水脈が見つかると話しており、最後の力を出し合い、

3箇所目も6mに到達。


懐中電灯をパイプにいれ、3箇所目の水脈を確認するが、発見できず。


これだから人生は面白い。





9時から作業して16時半ごろまで続いた井戸掘りは、水脈が見つからず。

4箇所目の確実に箇所へ移動して、最後ようやく水脈を発見。


鉄パイプの中に懐中電灯をいれて、チャポチャポ聞こえる水の音。

約7時間穴掘りをして、ようやくたどり着いた水源にとても感動した。


水を手に入れるのは、本当に大変なことで、普段から当たり前のように飲んでいる水がいかにありがたいことか、身に染みて感じる経験となった。


島国で山の国とも呼ばれる日本は、穴を掘れば基本的に水がでる、水の豊かな国だ。


今でこそ、ショベルカーや電動ドリルなど、近代化したテクノロジーがあるため、穴を掘ろうと思えば、すぐ掘れる。


何かしらの動力を使えば、6mや10mはあっという間だと思う。


しかし自分たちの手で力を合わせて、地下水にたどり着いたあの感動は、手動でやったからこそ味わえたのだ。


ほとんど知らない人たちが集まり、地下水を見つける、ことにみんなの意識があり、その目標に向かって力を合わせて穴を掘る。


ここで感じたのは、井戸掘りをすることに集まった約40名の方々は同じような思想をもつ方々だ。


自分で古民家をゲストハウスとして経営していたり、お米や野菜を作り自給自足のような生活をしていたり、家でキノコ栽培をしている人など、自然と共に生きている人ばかりだ。


自分の身は自分で守る時代が来たと感じている人ばかりで、生きるために一番重要な「水」を確保する井戸掘りに、地方から沢山の人が集まったのだ。


みんなの想いが井戸掘りの形となり

水源確保がこれからの時代をサバイブするポイントだ。


今回の井戸掘りの経験は、人生の中で「生きる」ことに大きく影響を受ける出来事となり、自分たちが目指す生活スタイルを既に体現している人達に出会えたことで、より一層人生にブーストがかかる二日間であった。


人は人から成長する、全てのご縁に感謝だ。


この井戸掘りで様々な人に出会って、家のない人や車で放浪としている人、オフグリッドのような生活している人など、お話させてもらったが、一番刺激的な話は、実際に胎盤を食べたことのある男性だ。


幹細胞が多く含まれる胎盤は、健康法として美容法として注目されている。


実際の胎盤を食べた人は聞いたことがなく会ったこともない。

今回で出会った人の中で、胎盤を実際に食していた人に出会い衝撃を受けた。

しかもきっかけは自宅出産した奥さんから、胎盤を食べたいと言われたとのこと。


実際に一人目の子の胎盤を冷凍して食べたら、ぱさぱさであまりおいしくなかったと話す。

ここでも衝撃だが、ここからがさらに刺激的だ。


二人目の子は、一人目の子胎盤から学び、出てきた胎盤をそのまま生で食した。

わさび醤油を付けて食したら、普通にレバ刺しのように美味しく頂いたと話し、二人目の子の胎盤は長女と母と父、家族3人で美味しくいただいたとのこと。


家族でとんでもない循環させている。


そして最後の三人目の子に関しては、バターと共に炒めてソテーにして食したとのこと。

その際は、一人目二人目と母と父の家族4人で食した。


これこそ古来日本人のあるべき姿ではないのか、

と思うほど人として生き抜いている。


食は命であり、余すことなくすべてをいただくその姿勢に深く感銘を受けた。


もし自分の子が生まれる際は、みんなに呼びかけ胎盤パーティーをしたいと思う出来事であった。

(いつになるかは全く分からないが笑)


行動すれば何かが起きる。

南の島から一転、滋賀長浜の山奥で、予想外の出来事が起きすぎて、多次元パラレルを感じて現実とは何か、と思うほどの出来事であった。





To be continued

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