導かれる奈良旅

 導きの奈良旅


スターゲートが開く秋分の日に向けて、宇宙エネルギーが降り注ぐ週に奈良へ導かれたのだ。


今回の奈良旅は、与那国島のように予定がすべて変更する導き旅である。


9月23日秋分の日のいきいき村イベントに向けて、奈良へと一足先に上陸した。


奈良は上陸するたびに思うが、なんといっても土地のエネルギーが異常に高い。


日本の歴史が始まったといっても過言ではない。

大和王朝があったり、飛鳥京や平城京など昔の京(今でいう首都)があったことをふまえると、昔の大和人たちは土地の持つパワーをわかっており、ちゃんと地を選んで繁栄させてきたのだと奈良にいると感じる。


住んでいる人たちはそれが当たり前で生きているので、なんとも感じていなさそうだが、外から見たら奈良の人たちは心身共に整っている。


僕が出会った人がたまたま整った人たちなのかもしれないが、奈良にいると常に落ち着き、まるで瞑想状態にでもなったかのように身体や心がニュートラル(中庸)になる。


それは僕だけでなく

一緒に3日間を過ごしたかねちゃんも同意見だ。

(会話の中でそんな話が出たので同意見に笑)


今回奈良の中でもコアな人たちが訪れるという「宇陀」に連れてってもらった。


宇陀とは、桜井市の東側に位置し、奈良県でも見たら右下の三重との県境に位置する。


ここはなんといっても奈良で有名な高野山が女人禁制であるのに対して、宇陀にある室生寺は「女人高野」と呼ばれる場所だ。


高野山と対になる場所でもあるのが、この宇陀だ。


さらに歴史を紐解くと、古代王朝である古代大和王朝はこの宇陀にあり、神武天皇も王朝を作る際にここ宇陀を目指したとされる。


宇陀は歴史が古く、薬狩りと呼ばれる鹿の角を狩猟する文化や日本最古の薬草採取の記録も宇陀にある。


古代王朝があったその昔、鹿は不老不死の生き物で、何千年もいきるという言い伝えがあった。

薬猟と呼ばれる鹿やイノシシを狩猟して薬にすることで不老長寿が手に入るとされ、古代王朝では「神仙思想」という思想が根強くあった。


神仙思想とは、古代中国における民間思想であり、自らが不老長寿の人間、いわゆる仙人となることを願うものであり、この信仰に基づいた不老不死の薬が探索されていたのだ。


これが今日まで続くホメオパシーの所以だったとも言われている。

そして製薬会社で有名な「ツムラ=旧津村順天堂」「アステラス製薬=旧藤澤薬品」「ロート製薬」「武田薬品工業」「笹岡薬品」「アイフ製薬」など数々の薬業社を宇陀から輩出したことは、江戸時代までは自然薬草から薬を作る薬業が盛んだったことに由来している。


戦争に負け、明治維新という名の霊性を阻害する(いわゆる洗脳プロジェクト)出来事から始まり、自然治癒力で話す治療から、石油由来の薬剤に変わってしまったため、日本の古き良き歴史が消されたのだ。


歴史のことは書き始めると止められなく深すぎるため、このあたりで話を戻す。


そんな歴史深い宇陀を案内してもらい、そこから奈良の南側にある「飛鳥京」あたりを個人的解説付きでガイドをしてもらった。


その案内してくれた方(相当凄いお方)がなんとさらに神の導きのごとく、お米農家さんを紹介してくれたのだ。


そのお米農家さんがなんと、橿原神宮の神様にお米を奉納しているお米農家さんだったのだ。


なんということでしょう。

来年から始まるお米作り「高波動米」をどうしようか、前日話をしていたところに神様のお告げのように、橿原神宮奉納米の技術を継承してくることになったのだ。


案内してくれた方曰く、ここのお米は食べると元気になる、不調だったりしたら朝ここのお米でおむすびを作り、食べたら復活する、というのだ。


元氣になるお米。

まさに「高波動米」が目指す、食べただけで波動が上がるお米だ。


こんなにもbestなタイミングで完璧な采配をいただけることに心から感謝している。


宇宙の導きをそしてここまですべてを繋いでくれた方々に感謝。


来年から元気に波動が上がるお米作り「高波動米」が始まる。

乞うご期待。


そして迎えたいきいき村秋分の日イベント。

この日はスターゲートが大解放される日でもあり、朝から奈良県ふくめて大浄化の雨からスタートだ。


当初予定していたBBQから予定を変更して、芸術の秋ならぬ奈良県立美術館へ変更。


なんとそれがまた導きでもあった。


秋分の日は太陽が真東から昇り真西に落ちていく、太陽の通る道が一直線になることから極楽浄土に一年で最も近い日とされ、さらに昼と夜の時間が同じとなる宇宙と繋がる日だ。


その時期をお彼岸とよび、古くから日本の文化ではこの時を先祖が来る日とされ、お墓参りや先祖にお供え物をするシーズンだ。


そんな日に訪れた奈良県立美術館で開催していたのは

野田弘志とよばれる、日本のリアリズム絵画を代表する画家の一人で、一枚一枚に命を懸けて、一年で一枚を描くほど魂を込めて描く画家だ。


「生と死」


死というものが訪れるから生というものが活きてくる。

人骨や鳥や動物の骨など、あるいは生ける人間を描き、野田氏の死生観を示していた。


「今ここに在る」ということをとことん突き詰めた一枚一枚の絵だ。

素晴らしいのは一眼レフで撮ったかのような、解像度。

油彩画なのに写真とも思わす繊細さ。

これぞ芸術!

と言わんばかりの絵が並んでいた。


いつもながら絵を見ながら、みんなで各々の見解を述べたり話をしていると館内の方に怒られる。

それが一度とは言わず、二度三度も怒られる。


しかも入ってはいけないシール?が貼ってあるのにお構いなく、近くで絵画を覗き見る。

いつもながら笑えるいきいき村メンバーだ。


みんな美術館でも笑い合い、話し合い、そして怒られ合う。


美術館を入るまでは大粒の浄化雨だったが、芸術の秋を終えた後なんと外は雨があがっている。


天気にも恵まれる導きだ。


その後興福寺の五重塔がこの一ヶ月だけ特別公開していたので、興福寺を堪能した。


本当にうまく導かれている。

朝のBBQ中止の始まりから、美術館→興福寺→近鉄奈良駅での解散まで全てスムーズに流れるままに進んでいく。


濃密すぎてあっという間に時間が過ぎ、どこかパラレル移行して帰ってきたかのような感覚になるのだ。


時間的概念は人それぞれ違うと思うが

いきいき村のメンバーで集まるときは、どこか違うパラレルに移行して違う次元を過ごしている感覚だ。


(まさに「アセンション」ということだろう)


そんなこんなですべて導かれるように、「始まりの地」奈良旅が無事に終わり、これからさらに面白いパラレルが動き出す。


そんなことを彷彿とさせる出会いと出来事があった奈良旅であった。





To be continued

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