平等であるがゆえに学び多き

 マヤ暦の挑戦月(月の月、数字で言う2月目)の始まりということもあり

日本百名山の一つ「恵那山(2191m)」を登頂してきた。


この日は天気コンディションがあまり良くなく、雨が降り、地面もぐちゃぐちゃで、登山にあまり適してない日だ。


しかし山は人生と同じで、晴れてる日ばかりでなく、雨の日も風の日もある。

晴れの日ばかりを狙って登頂するは、チャンスがその分少ないと感じ、登っている途中で天候が変わりやすく、雨が降ることが多々あるのが山だ。


雨の登山を知らずして、山を深くまで知ることはできぬ、と言い聞かせ自分の挑戦として、雨登山に挑戦した。


電波もなく、地面がぬかるみ、視界は悪く、雨に濡れるおかげで体温調整が難しい。滑落する恐れや遭難するリスクが高まるのが、天候が良くない時の登山だ。


いつだって不安や恐怖は僕も持ち合わせており、死のリスクは当然上がる。

いつも登山中に頭をよぎるのが、「備えあれば憂いなし」だ。


日々の生活で思うことはほとんどない。

コンビニや100均、スーパーなどに行けば、何でも手に入る世の中だ。


グローバル化され、安価でなんでも手に入る時代になったからこそ、便利で生活しやすい環境が出来上がるなど良い部分は沢山ある。


しかし失ったモノをあるのが現実で、これぞ「陰陽のバランス」だ。

その一つが危機管理能力だと思う。


危機管理能力が欠如し始めている現代人は、いざという時に弱さが出る。

中にはメンタルが強く、ここぞというときに力を最大限発揮する人もいるが、ピンチに脆い人が増えたと感じる。


なんでもすぐにスマホさえあれば手に入り、アマゾンで頼めば次の日に届く時代だ。


歩いてすぐに24時間営業しているコンビニ行けば、大抵の日用品であれば売っている。


約70年前の戦前の方々が現代の生活を知ったら、腰を抜かして目玉が飛び出すかもしれない。

そのくらい生活スタイルや価値観が変化して、今がある。


山に行くと人間の本能的スイッチが押され、いつ死んでもおかしくない、というレーダーが発動して、周りにある「死のリスク」のポイントをキャッチし始めるのだ。


滑落ポイントや遭難ポイント、食料や水、体温調整や身体の変化など、様々な情報をキャッチして、現状のベストを尽くして動き出す。


自分ですべてを行うしかなくなり、「生きる」ことにしっかり向き合うからこそ、危機管理能力もおのずと高まってくるのだ。


ここでいつも不思議で面白いのが、死のリスクが高まると、なぜか自分の内側が燃え始める点だ。


自分の内側には、リスクをエネルギーとして、人生のパワーに変換する装置が備わっていると感じる。


誰だってピンチな時は、心拍数が上がりドキドキするし、冷汗が止まらなくなったり手に汗握ると思う。


僕にもそれらは肉体の機能として存在しており、しっかりドキドキする。

そのドキドキがワクワクに変換され、不安や恐怖よりも興味や好奇心の方が上回ってしまうのだ。


このような時に、体感している感情や想いをリアルにシェアできる装置があったら、面白いのになと常々思う。


似たように感じる人もいると思うが、100人いたら100人とも違う体感があるのだ。

それらを共有できるとなれば、価値観や感情に幅が増えて、より一層人生に幅が増え、多様化時代ならではの楽しみ方だと思う。


BMI(ブレインマシーンインターフェース)と呼ばれる、脳の電波信号をキャッチしてパソコンに文字を打ち込んだり、マウスを動かして、絵を描ける時代がやってきている。


BMIとは、脳と機械を結合させることであり、義手義足が本来の手足と何ら変わらなく動かせることが可能なのだ。


つまりその時々に感じた感情や想いを共有できる時代が、あと数年したらやってくる可能性がある。

そしたら山登りも含めて人生が、更に面白くなると感じれずにはいられない。


テクノロジーの進化は悪いことではなく、人生の多様化や人類の進化に大きく貢献しているのは間違いない。

これからの時代、いったい何が起きるのか、本当に楽しみだ。


山登りへ話を戻し

もし滑落や遭難した場合、電波がないとすぐに助けが呼べず、不慮の事故で足を怪我したことを考えると帰還するのがとても大変だ。


奇跡的に誰かの助けがあれば、それは天からの助けだと考える。

やれることのすべてをもがきあがいて行動して、最終的に為す術が全て無くなったら、残すは神頼みをすると思う。


その「死」という肉体的危機的状況がいつ起きてもおかしくないのが、山であり登山の素晴らしいところでもある。


いつ何が起こるかわからない人生を物語っており、人生≒登山と思っている。


山に登れば今の自分の課題を見つめ直させてくれて、自然のエネルギーで細胞たちを復活させてくれる、まさに人生のポケモンセンターだ。


この夏は登山に目覚め、多動症ならではの「自分の向き合い方」を実践中。


何もないからこそ、様々なことを導いてくれるのが山であり、危機的状況だからこそ発揮される能力を開花させてくれる、人生のポケモンセンターから学ぶ一日だった。





To be continued


コメント

このブログの人気の投稿

ファスティング×脳オイル交換 12日間の旅

~ほぼ地球一周旅~第九章「セレモニー」

大いなる調和の国「大和国」