安心=リスクの選択
山旅
この三日間は山の中で過ごし、山に登り、そして山と共に生きた。
今回登った山は「大日ヶ岳」をメインに登山計画をした。
大日ヶ岳は標高1709mで、奈良時代に泰澄上人の手によって開山され、大日如来様を頂上に祀ったことから「大日ヶ岳」と名付けられた、日本二百名山の一座に数えられる山だ。
比較的登りやすい山々で、標高1500mくらいに来ると、山が開かれて辺りを一望できるので、壮大な山を感じながら登山が可能。
ここに来る前に登山仲間と話をして出た話題が「備えあれば患いなし」だ。
山は天候が変わりやすく、滑落の危険もあるため、いつなにが起きるのか、誰にも予想ができない。
電波の通じる山であれば良いが、基本的に1700m級になると結構な奥地に在るため電波が通じるところがほとんどない。
そんな中をひたすら登っていくのだ。
今回の登山は「備えあれば患いなし」が頭の中を駆け巡った。
前回の登山で命の危険を感じて、登山がいつ死んでもおかしくないという経験から学び、今回の登山からちゃんと仲間たちにどこの山に行くのか、どの工程で登るのか、を伝えてから登山スタートした。
しっかり伝えてから登山することで、なぜかとてつもない安心感に包まれながれ、山登りができたのだ。
一人で登っているのだが、誰かに見守られながら登っている感覚だ。
この安心感はホッとする安心感で、リスクジャンキーからすると逆効果だ。
山登りをさらに攻めても良いと後押しされているかの如く、を身をもって感じたのだ。
安心があるとその分だけリスクの選択肢が増えるということだ。
分かりづらい人たちに詳しく話をしよう。
これに関してお金に例えるとわかりやすい。
何もしなくても毎月100万円が口座に振り込まれてくるとする。
その状況になれば一般的?な考えであれば、自由に平和にのんびりな暮らしを選択すると思う。
リスクジャンキーは少々思考回路が違い、100万円分新しいことにチャレンジできて、新たな道を開拓できるのだ。
つまり山登りに安心感があると、その分だけ攻めて登山ができるのだ。
安心感=リスクの選択肢
この氣付きは、今後の人生においてとても重要なポイントだと感じた。
なぜか。
今までだと安心感があると、心がとても穏やかになり、攻める姿勢がいつもより弱くなっている自分を感じるのだ。
自分らしく生きているつもりが、安心という名の沼に浸かると、なかなか抜け出せない自分が出てくるのだ。
その安心した自分と向き合ったことで、導かれた「リスクの選択肢」
これが今回の登山で一番の氣付きだ。
安心した分だけ攻められる。
攻めた分だけ学びや氣付きがあり、より面白い人生が待っている。
人それぞれ違った人生の道があるから、それぞれ違った生き方で良いのだ。
※良い子は決して、僕のような生き方をマネしないでください。笑
僕のような生き方もあれば、ゆっくり海を眺めながら平和に暮らす生き方もある。
一つ言えるのは、75億人いる地球で75億通りの生き方があるのが人生だ。
その一つの生き方として、こんなにも動いて攻めている生き方もあるのだと、その人の何か人生のきっかけになってくれたら素直に嬉しい。
それらが僕が地球に存在する意味でもあり、僕のような生き方がある理由でもある。
老人でも若者でも、男性でも女性でも関係なく、山はいつでも誰にでも平等で、登れば登るほど肉体的に精神的に追い込まれていく。
追い込まれるからこそ、自分と向き合い山と向き合い、自然の壮大なエネルギーに感謝が生まれる。
そんな安心感とリスクがイコールで交じり合いながら、自然の壮大なエネルギーに包まれる1700m級の山々でした。
PS.今回の山旅は、三大栄養素である「タンパク質、糖質、脂質」をベースにした食事のみを実行。
タンパク質 卵、納豆、豆腐
糖質 土鍋ご飯、数種のレーズン
脂質 アーモンド
土鍋ご飯が美味すぎたおかげ様で、三日間上記の食事のみで過ごしたが、とても快調な日々を過ごせた。
To be continued
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