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8月, 2022の投稿を表示しています

平等であるがゆえに学び多き

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 マヤ暦の挑戦月(月の月、数字で言う2月目)の始まりということもあり 日本百名山の一つ「恵那山(2191m)」を登頂してきた。 この日は天気コンディションがあまり良くなく、雨が降り、地面もぐちゃぐちゃで、登山にあまり適してない日だ。 しかし山は人生と同じで、晴れてる日ばかりでなく、雨の日も風の日もある。 晴れの日ばかりを狙って登頂するは、チャンスがその分少ないと感じ、登っている途中で天候が変わりやすく、雨が降ることが多々あるのが山だ。 雨の登山を知らずして、山を深くまで知ることはできぬ、と言い聞かせ自分の挑戦として、雨登山に挑戦した。 電波もなく、地面がぬかるみ、視界は悪く、雨に濡れるおかげで体温調整が難しい。滑落する恐れや遭難するリスクが高まるのが、天候が良くない時の登山だ。 いつだって不安や恐怖は僕も持ち合わせており、死のリスクは当然上がる。 いつも登山中に頭をよぎるのが、「備えあれば憂いなし」だ。 日々の生活で思うことはほとんどない。 コンビニや100均、スーパーなどに行けば、何でも手に入る世の中だ。 グローバル化され、安価でなんでも手に入る時代になったからこそ、便利で生活しやすい環境が出来上がるなど良い部分は沢山ある。 しかし失ったモノをあるのが現実で、これぞ「陰陽のバランス」だ。 その一つが危機管理能力だと思う。 危機管理能力が欠如し始めている現代人は、いざという時に弱さが出る。 中にはメンタルが強く、ここぞというときに力を最大限発揮する人もいるが、ピンチに脆い人が増えたと感じる。 なんでもすぐにスマホさえあれば手に入り、アマゾンで頼めば次の日に届く時代だ。 歩いてすぐに24時間営業しているコンビニ行けば、大抵の日用品であれば売っている。 約70年前の戦前の方々が現代の生活を知ったら、腰を抜かして目玉が飛び出すかもしれない。 そのくらい生活スタイルや価値観が変化して、今がある。 山に行くと人間の本能的スイッチが押され、いつ死んでもおかしくない、というレーダーが発動して、周りにある「死のリスク」のポイントをキャッチし始めるのだ。 滑落ポイントや遭難ポイント、食料や水、体温調整や身体の変化など、様々な情報をキャッチして、現状のベストを尽くして動き出す。 自分ですべてを行うしかなくなり、「生きる」ことにしっかり向き合うからこそ、危機管理能力もおのずと高ま...

安心=リスクの選択

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 山旅 この三日間は山の中で過ごし、山に登り、そして山と共に生きた。 今回登った山は「大日ヶ岳」をメインに登山計画をした。 大日ヶ岳は標高1709mで、奈良時代に泰澄上人の手によって開山され、大日如来様を頂上に祀ったことから「大日ヶ岳」と名付けられた、日本二百名山の一座に数えられる山だ。 比較的登りやすい山々で、標高1500mくらいに来ると、山が開かれて辺りを一望できるので、壮大な山を感じながら登山が可能。 ここに来る前に登山仲間と話をして出た話題が「備えあれば患いなし」だ。 山は天候が変わりやすく、滑落の危険もあるため、いつなにが起きるのか、誰にも予想ができない。 電波の通じる山であれば良いが、基本的に1700m級になると結構な奥地に在るため電波が通じるところがほとんどない。 そんな中をひたすら登っていくのだ。 今回の登山は「備えあれば患いなし」が頭の中を駆け巡った。 前回の登山で命の危険を感じて、登山がいつ死んでもおかしくないという経験から学び、今回の登山からちゃんと仲間たちにどこの山に行くのか、どの工程で登るのか、を伝えてから登山スタートした。 しっかり伝えてから登山することで、なぜかとてつもない安心感に包まれながれ、山登りができたのだ。 一人で登っているのだが、誰かに見守られながら登っている感覚だ。 この安心感はホッとする安心感で、リスクジャンキーからすると逆効果だ。 山登りをさらに攻めても良いと後押しされているかの如く、を身をもって感じたのだ。 安心があるとその分だけリスクの選択肢が増えるということだ。 分かりづらい人たちに詳しく話をしよう。 これに関してお金に例えるとわかりやすい。 何もしなくても毎月100万円が口座に振り込まれてくるとする。 その状況になれば一般的?な考えであれば、自由に平和にのんびりな暮らしを選択すると思う。 リスクジャンキーは少々思考回路が違い、100万円分新しいことにチャレンジできて、新たな道を開拓できるのだ。 つまり山登りに安心感があると、その分だけ攻めて登山ができるのだ。 安心感=リスクの選択肢 この氣付きは、今後の人生においてとても重要なポイントだと感じた。 なぜか。 今までだと安心感があると、心がとても穏やかになり、攻める姿勢がいつもより弱くなっている自分を感じるのだ。 自分らしく生きているつもりが、安心という名の...

時はHeaven

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 姉妹村 Heaven 軽井沢草津旅 最近草津温泉の方向に呼ばれることが多い。 草津温泉は酸性濃度が高く、レモン水のような味がする温泉だ。 源泉に近づけばより熱く、体感的に50-60℃くらいある体感あり、入ると「熱い」と感じる前に「痛い」が最初に来る。 この痛いはチクチクと針で皮膚の汗腺を突き刺すような痛みで、この熱さと痛さに慣れるまで時間がかかる。 一瞬足をつけたり、桶で温泉をすくい、体にかけては水を浴びる。 この温泉の横にある地下水だと思われるキンキンに冷たい水は、草津温泉を入るうえでは必須の水だ。 ちなみに草津温泉は、共同浴場という場所がいくつかあり、源泉が湧き出ている温泉場で、観光客や地元民も含めて誰でも無料で入れる温泉だ。 共同浴場は加水も加温もしていないため、とにかく熱い痛い。 そのため温泉が湧き出る横に必ず水がある。 この命の源(温泉を入るための)の水があることで、温泉に入ることができるのだ。 温泉の入り方は まず足から痛みを感じる。 痛みを感じたら、すぐに上がり水を足にかける。 まずはこの繰り返しだ。 痛み→水→痛み→水→痛み→水 そして途中から 水→熱さ→水→熱さ だんだん身体が痛みに慣れてくると、熱さに変わってくる。 人間の身体って不思議なことに慣れて順応してくるのだ。 草津温泉を行くたびに思うのは、人間の順応能力の高さに感動する。 最初足を温泉につけた時は入れる氣がしない。 熱さの前に痛みが来るからだ。 痛みが熱さに変わり、最終的にしっかり肩まで温泉に入ることができるのだ。 温泉に入ってしまえば、もうあとはゆっくり熱さが身体の芯まで来るのを観察して、温泉から上がり水を頭から浴びる。 これぞまさしく「温泉ととのい」だ。 身体の芯まで熱さが染み渡るので、この温泉ととのいはサウナとはまた違った「ととのい」がある。 草津は酸性が極度に強いため、皮膚や髪の毛が見違えるほどツヤツヤでスベスベ素肌になる。 卵の殻が剥けてゆで卵になる感じだ。 痛みから熱さへそして「温泉ととのい」 人間の順応能力を身をもって体感できる温泉だ。 人間はどの環境、どんな出来事にも耐えられる順応能力の高さを持っているのだと思う。 新しい職場に知り合いが誰もいない状況で始まった仕事でも、毎日同じ職場にいけば、仲良くなる人が増えたり、その職場に慣れてくる。 嫌いな食べ物があっても...

導かれし久能山東照宮

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 今週1週間も濃密に過ごさせてもらった。 ライオンズゲートの始まり7月23日からずっと動き続けている。 これがライオンズゲートの影響か。 日本の二十四節気「立秋」がライオンズゲートのピーク8月8日であり 日本の文化でもしっかりと継承されているのが凄いところだ。 現代になり、情報が多様化したことで様々な観点から物事を見られるようになった。 その恩恵はとても大きい。 ライオンズゲートもその一つだと思う。 それが秋の始まりをお祝いする「立秋」と被るのが面白いところで、日本の文化もちゃんと天体の動きに合わせて、暦が作られており、グレゴリオ暦が制定されたのは、つい最近の話だ。 1年を365日に制定するグレゴリオ暦が導入されたことで、人々に対する時間的概念の洗脳が始まった。 それはさておき 地元→清水→熱海と花火大会を巡るウィークでもあった。 花火は読んで字のごとく、空に映しだす大きなお花だ。 何回見てもあの感動と興奮はたまらない。 花火師たちが長い月日をかけて丹精込めて作り上げた、火の祭典は夏の風物詩だ。 清水の大花火を見ているときに、 「花火は日本の宝だな」と思っていた。 そしたら同じタイミングでサッカー選手の本田圭佑も 「花火は日本の宝だ」 とTwitterでつぶやいているのたまたま見かけて 日本人として生まれた同じソウルを持つものとして、 親近感と深いつながりを感じた。 深いつながりといえば 清水の花火大会の前に寄った、久能山東照宮だ。 久能山東照宮には徳川家康のお墓があり、徳川家康の遺命で「死後の墓と、御霊を祀る東照宮の場所」が決められていた。 江戸城は宇宙のエネルギーが降り注ぐ位置に設計しているなど、家康は霊的な力を大切にする方であり、260年続いた江戸の根源であり、大和魂を受け継いできたのだ。 なぜ深いつながりなのかというと 僕の先祖は徳川家四大公家の一つであり、岡崎城を守っていた一家だからだ。 徳川家がいたから、今の家系があり、家族がある。 ライオンズゲートが解放されて宇宙エネルギーが降り注ぐタイミングで、お墓参りと日頃の感謝をお伝えできたことに感謝だ。 宇宙の導きよ、ありがとう! 旅して動き回っていると沢山の氣付きがある。 今回初めて行った清水にある、世界文化遺産富士山の構成資産にも登録されている日本三大松原の一つ「三保の松原」だ。 全長7キロにも及び...

平和

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 平和とは一体なんだろう。 調べると「争いや戦争がなくおだやかな状態のこと」 を指す。 その定義からすると今の地球は戦争真っ最中で、 平和ではない。 今の地球は完全な状態か。 と言われれば、完全な状態だ。 不完全な状態だとすると、今僕らが住んでいる地球のどこかが 意味のないことがあることになる。 無意味なことがあると、そこから無意味の連鎖が始まり、 最終的に僕らが存在していることに意味がなくなるからだ。 だから今生きていることに何かしらの意味があり、地球で起きている出来事すべてに意味がある。 その出来事の捉え方で「今」の在り方が変わってくる。 だから全て完璧だと考える。 ここで二重スリット実験の話をする。 二重スリット実験とは量子力学の真髄と言われており、 二つのスリット(穴)に電子を飛ばして、 観測機を置いて観測した場合Aと 観測機を置かない状態で観測した場合Bの結果が違ったのだ。 観測した場合Aはスリットと同じ二本の線ができた「粒の性質」 観測機なしの場合Bはスリットより多い6本以上の線ができた「波の性質」 つまり電子というのは、人間など何かが観測すると粒のように物質になり、観測していないと波のような性質になる。 人間も地球もすべて同じことが言えるため 誰かが認識したり、意識があるから僕らは肉体という体を維持できている。 地球も同じことだ。 さらに僕らの目では観測できないが 物質すべてには固有の振動数があり、揺れているのだ。 揺れているから共鳴する。 共鳴するから引き寄せる。 自分の振動数をあげれば、自然と周りの環境や関わる人が変わってくる。 今の自分の振動数が自分の周りを創り上げている。 引き寄せの法則はまた今度触れるとして 全ての物質には固有の振動数がある。 その振動数は地球にもあり、地球は常に粒の性質と波の性質を持ち、揺れているのだ。 人生も同じで、様々な出来事があり、学び氣付きそして成長していく。 揺れ動きながら逞しくなっていくのだ。 地球も同じで波のように動き、様々なイベントを繰り返して、拡大と縮小を繰り返すのだ。 つまり今の状態とは 拡大が増幅しすぎた反動が今起きているのだと。 物質が粒と波の性質を持っている以上、起きてくるイベントは仕方がない。 波である以上起きることは起きるのだ。 今起きているイベントに一喜一憂せず 「今」の自分の在り方に...