お金のいらない国

 最近読んだ本で一番感銘を受けた本を紹介する。


「お金のいらない国」


お金のいらない国では

ご飯を食べるのも、何かモノを買うのも、家に住むのも

すべてタダだ。


サーカスやコンサートを見るのもタダで

ここに住む人たちが世のため人のためになる

各々ができる仕事をしている。


何をするにもお金がかからないとなれば、

遊ぶだけだ、と認識する人もいるが逆だ。


みんなが世の中のためになることを仕事にすることで

社会システムが成り立っているのだ。


まさに「与える」奉仕の心が社会システムの基盤を創り上げている。


仕事とは

本来誰かのために社会のために役に立つことである。


お金を得て、贅沢をするために仕事はあるものではない。


お金が存在しないからこそ、誰かに社会に何か貢献しようとする心が芽生える。


例えば、誰かからプレゼントをもらったら、何かお返してあげたいなと自然に思うはずだ。


その心は「与えられた」から「与えてあげたい」という気持ちになる。


一例にすぎないが、「与える」の循環で社会が成り立つということだ。


元々お金がない時代は、所有という文化はなく、共有であり「与える」循環で社会が形成されていた。


だから縄文時代は1万年も続いた、とも言われている。


お金がない国では

何でも手に入るため、必要な時に必要なだけ手に入れる、という生活になる。


すると無駄なものを手に入れることが無くなり、無駄な消費がなくなり、自然環境や空気、太陽のエネルギー自体を大切にするようになる。


自然の恵みがあるから今の自分たちが存在することができ、自然があることに感謝して、自然と共に生きるという選択していくのだ。


人は本来そう生きるように設計されているが、テクノロジーの発展により、楽して何でも作れたり、なんでも楽できるようになってった。


それは生活する上で良い反面、地球という大きな生活圏を無視している。


自然環境やエネルギーは有限であること。

地球があるから僕ら地球人が生きられるということ。


お金があるから大切なことに氣付けないのか。

お金がなくなると氣付くことができるのか。


この本を読んで思ったのは

「所有」という文化ができたことで、共有して共存する生き方が薄れていき、今の地球環境が形成されたと思う。


所有という自分のものにしたい、という欲望が増幅していき

国や縄張り、地域に分かれていったのだと。


本来は地球という一つのプラットフォームに様々な人種がいて、助け合い支え合いながら、特性を活かして生きていける。


A国はこのルールだから、B国はこーゆう法律だから、制限するとか

自分の国にメリットがあるように国益の交渉をしていく。


その行為がそもそもおかしいと思う。


A国もB国もC国もあることで

色々な文化が交じり合い、良いシナジーを生み、新たな地球環境へと進化していく。


本来そのように地球は歩んできたはずだ。


そうでなければ、地球は争いが原因で既に破滅していると思う。


僕らが生きているうちに「お金」がいらない世界ができるとは思えないが、少しの意識で地球環境を良くしていくことは可能だ。


ごみを拾うのも、ビニール袋をもらわないのも

一つの地球のためにできることだ。


人それぞれ考え方や価値観が違うのは当たり前だが

「お金」のために「仕事」をすることは今一度考えなおした方が、今後の人生はより一層楽しくなる。


お金があるからとか、ないからとか関係ない。

「お金」のために大切な人生を削っているのだ。


自分が一体なぜお金が必要なのか、今の生活で何が必要か

など「所有」という概念を

一度自分と対話することで見つけ出せることがあるかもしれない。


自分が何に固執して、何を大切にしているのか。


「お金のいらない国」

短く30分もあれば読めてしまう本だが、内容は「生きる」ということを深く考えさせられる、とても良い本だった。


全ては内宇宙にある。




To be continued

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