村イベント 関西開運ツアー

 「いきいき村イベント」

関西開運ツアーin 奈良


奈良に来たのは中学の修学旅行以来で

わくわくと緊張が入り混じり、前日全然眠れなかった。


今回のイベントは多くの方が参加してくださることから

無事に完遂できるのか、少しの緊張がある。

これはイベント前にいつもある現象だ。


少しの緊張感は自分の生きている実感をするのに大切だと思っている。(もっと刺激的なやつがほしいが笑)


心情の変化はさておき

奈良旅開運イベントは一言で表すと「導き」


もう少し深掘りすると

参加者の波動と地球の振動数がシンクロして

訪れる場所でパラレルが変わり、それに地球が応えているかのような出来事ばかりだ。


まず集合は天理教の聖地、天理駅から。


天理教とは「親神・天理王命」によって人間が創造され、お互いが助け合い、「陽気ぐらし」の姿をみて共に楽しみたいという思いから、神様である「親神」が人間に体を貸したと教えられている。


つまり「陽気ぐらし」を共に楽しむために、人間が創造され、この地球に存在しているということだ。


天理駅集合でなければ、天理教について調べることもなかったが、天理教を調べたおかげで、「陽気ぐらし」が人間の目的であることがまた一つ学びとなった。



始まりから地球シンクロが始まっていた。

天気予報では25.26日は豪雨の予報であったが

なんと快晴だ。


いきなり「陽気ぐらし」の始まりです!


天気とは、一緒にいるメンバーが創り出す波動であり

地球とシンクロしている僕らには、天気予報は無用ということだ。


自然の導きのままに時を進める。


天理駅から「石上神宮」

まず移動中、浄化の雨が降る。


石上神宮は「布留山」の麓に位置して、日本最古の神社の一つで、拝殿はなんと1000年前の造形が今なお残る歴史的建造物だ。


さらに雨と深い関係があり、「布留(ふる)と雨がふるは古事記にも記載されているほど、自然の恵みと共存する地であったことが伺える。


深掘りすると石上神宮は物部氏の総氏神様であり、物部氏の武器庫でもあったとされている。


物部氏とは日本が大和国時代に大和朝廷を掌握していたとされる、日本人のルーツの氏族である。




奈良はなんといっても歴史が古い。

建造物一つ一つが建設当時の面影がしっかり残っており

昔の方々がいかにパワフルで、穏やかに生活をしていたことが建造物から感じられる。


今の現代人のようにせかせかした生活とは程遠く

ゆったりとして自分たちの人生を謳歌していたと思う。


奈良の神社仏閣は一つ一つが大きく、まるで自分たちが小人族になったような感覚にもなる。


それだけ昔は木々も大きく、建造物一つ一つにかける想いや日数が今とは全然違うことを実感できる。


現代の家やビルなどの建造物はできるだけコンパクトに早く作るように、そしてコストも抑えるように設計されている。


それだけ人口が増えて、時間に追われるように建築する流れになってきたために、レゴブロックの組み立て式のような建物が増えた。


奈良に行ったことで

過去と今を見比べることができ、現代にも残る歴史的建造物は様々な氣付きや発見をいただける。


今回の奈良旅では

晴れ→曇り→雨→晴れ→雨→晴れ→雨


のように行く場所によって天気が変わる、波動調整奈良旅でもあった。


見方を変えると

晴れているから、神社や滝がイキイキとして輝いて見える。

雨が降るから岡寺のアジサイたちが、より一層元氣に華やかになる。


晴れていたから八大龍王弁財天でピクニックができて

雨が降りそうになったから颯爽とピクニックを切り上げて、

雨宿りの豆腐ドーナツ屋さんに立ち寄ることになったのだ。


そして雨のおかげで早めに切り上げて移動したことで

岡寺の最終受付までに間に合うことができたのだ。


つまりお天道様が僕らの旅を導いてくれていた

ということなのだ。


本当にありがたい。

参加者全員の日頃の行いがこのように最高のシチュエーションを創り出し、お天道様も味方につけて導かれ、

最後に夕陽を拝むことができたのだ。



生きていると色々な現象が起きる。

その一つ一つには何かしらのメッセージや氣付きが隠されており

その出来事をどう捉えて、認識するのかがポイントだ。


今回の奈良旅はまさに「地球と共に」を体現する旅でもあった。



高野山に向かうときの道中では

川に浮かぶ無数の光「ホタル」に遭遇した。


満天の星空と共に浮かぶ綺麗なホタルは

とても幻想的で、自然と生き物が創り出すイルミネーションは

違う宇宙に飛ばされ、ファンタジーの世界にきた感覚があった。



さらに高野山の宿坊では

お風呂に入ることができず、シャワーから水しか出ない「水修行」が待ち構えていたり、本殿で挨拶してるとさっさと帰れというような雰囲気を醸し出されたりと、なかなかできない貴重な体験もできた。


金剛峯寺の総本山や奥の院、そして護摩焚きをリアルに経験したことで

宿坊のお坊さんがどのような心情だったのか

なんとなく理解できた氣がした。


「修行」という自分と向き合い、高めるために自分の欲をコントロールして、朝からお勤めと共に祈りをささげる日々を考えると、相当な覚悟がないとできることではない。


彼らの世界では「遊び」というより「修行」というのがベースで生きていると思う。

僕らの世界では「修行」や「規律」というより「遊び」「わくわく」が基本ベースで生きている。


相反する世界の者同士が交じり合うことで

何か新しい世界観が生まれることもある。


そんな平衡パラレルが交じり合ったことで

僕らの内側にも何か生まれたことを感じている。


みんな違ってみんないい。

その平衡パラレルを体験した方々の「芽生えた何か」

についてどこかで話し合う機会があっても面白いかなと思う。


そんなこんなであっという間の二日間。

まだまだ見知らぬ世界が沢山あると氣付かせてくれた旅でもあり、

またいきいき村メンバーはとにかく波動が高く、心が透き通るような安心感のある方々だ。


日々進化する一歩ずつを楽しみ、より一層世界を面白くしていきたいと

心から思う奈良イベントだった。



To be continued

コメント

このブログの人気の投稿

ファスティング×脳オイル交換 12日間の旅

~ほぼ地球一周旅~第九章「セレモニー」

大いなる調和の国「大和国」