左側通行

「人生の中で何を氣付き何を学ぶのか」


日本の象徴ともいえる天皇が住む場所、皇居。


皇居は元々徳川幕府の居城であった江戸城跡にあり、宮城(きゅうじょう)と公称され、皇宮や皇城とも呼ばれていた。


その流れから、明治天皇に移り変わるタイミングから

天皇が居する土地として、皇居となった。


なぜ皇居は波動が高く、日本の中でも有数のパワースポットなのか。


諸説様々あるが、皇居の周りを自転車で快走していた時にふと降りてきたことがある。


日本の道路交通法は左側通行だ。

つまりどこかを一周しようとすると「左回り」なるのだ。


左回りということは、指を回してみるとわかると思うが

上へ上へと上昇する回り方だ。


日本が左側通行を採用しているのは

侍の時代に刀の納まる鞘が左腰付いており、右側通行だと鞘同士がぶつかり争いになるのを防ぐためであった。


世界でも元々(1500-1700年の中世あたりまで)は左側通行が一般的であった。

それは世界人口の約80-90%が「右利き」だったため、いつ何が起きても良いように距離を保ち、争いになったときすぐ戦闘態勢(刀や武器を右手で持つ)になるには、左側通行の方が都合がよかったからだ。


そのため左側を歩くのが本能的に主流であったのだ。


しかし戦争するための武器が作られ始め、世界では植民地争いに勃発した中世後くらいにナポレオン率いるフランス軍が世界を統治し始めた。


ナポレオンの戦術が「一点突破」であり、物理的に敵の戦力が薄くなる左翼から攻撃するために右側を通行したことや

技術の進歩から「剣→銃」に武器が変化したため、右側通行のほうが都合がよかったのだ。


さらにはナポレオン自身が「左利き」だったために、「右側通行」にルール付けたと諸説ある。


それが現代まで続いており

フランスの植民地化された国々では、「右側通行」が一般的なのだ。


幸いにも日本はどこにも植民地になっていないため

「侍時代」の名残が今も続いており、「左側通行」なのだ。


左側通行により「左回り」が生まれ

上昇のエネルギーを生み出していると感じる江戸城跡の皇居。


元々高波動の場所であるのは間違いないが

江戸城跡地の内側と外側では空気やエネルギーが違い、高波動を保ち続けている理由の一つとして、「左回り」が影響しているのだと思う、今週でした。



To be continued

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