何もしない日
何もしない日
久しぶりに何もしない日を過ごした。
まず起きたら散歩してお昼ご飯食べたら、家のベランダでお昼寝した。
家のベランダが飽きたので今度は近くの見渡しの良い原っぱのような場所へ移動。
ここがまた景観が良く、快晴な日であったのでヨガマットを敷いて、またここでも何もせずボーっとした。2022年に入り、様々な出来事があり有難いことに毎日忙しくさせてもらっていた。
ふと思ったのは
ちょうど2か月半経った今日まで
今日みたいに「何もしない日」がなかったなと。
何もしないとは語弊があるかもしれないが
どちらかと言えば「思考を止める」方が正しいかも。
この思考を止めるというのは
単純に何も考えずただボーっとする。
景観の良いところで太陽やプラーナ(宇宙エネルギー)を見ながら
ただ生きている。
この何もない、ただ生きている状態が
いかに幸せなことなんだと思う日でもあった。

ちなみにプラーナの見方は簡単だ。
空と自分の間の空間に焦点を当てる。
その空間をずっと凝視していると光の小さい粒たちが見える。
規則性がありそうで乱雑に動き回っているのを見ることができる。
それらがプラーナだ。
快晴の日が一番見やすいので、ぜひ今度トライしてほしい。
プラーナを見えるようになるとなんだか不思議の世界に来た感じを体感すると思う。
それがこの「地球版RPG(リアルプレイングゲーム)」の始まりだ。
人生をリアルゲームと認識すればするほどこの地球が更に面白くなる。
アバター(自分)を使いこなし
地球というプラットフォームを思う存分
共に楽しみましょう♪笑
ちょいとゲームの話はまた詳しく解説するとして
思考をしないことで生まれる新たな氣付きがあるのも事実。
脳はパソコンやケータイと同じだ。パソコンやケータイは容量があり、キャパを超えると新しい写真やデータを保存ができない。
脳も同じで自分のキャパがあり、常に色んな情報を取り入れていくと情報過多になり、パンクする。
だからこそ脳を休ませること、リセットさせることでまた新たな思考回路へと働き出せるのだ。
休むこと=動くことのバランスがとても大事である。
休むことを覚えたのはここ2,3年の話だ。今まで「休む」という概念がそもそもなくて、
動き回っていたが休めるようになったのも成長した証だと思う。
今日の一番の氣付きは「胡桃」だ。いつものバックパックから殻クルミが出てきたので
どうしても割りたくなった。
普段クルミを食べるときは、既に剥けている状態であるため歯でも叩いても踏みつけても割れない殻の中に本当に入っているのか、疑問が出たからだ。
家にあったハンマーを取り出しいざ実践へ。

割ってみるとちゃんと中にクルミが入っている。
(それをみてなぜか一安心した笑)しかしなかなかうまく割れない。
本当に中まで固いのだ。割れた中身を食べてみると、さっぱり苦みがある。生だから普段食べているのと味が違うのは当たり前だ。
ハンマーでやったからかもしれないがいざ割ってみると割れづらく、中身も綺麗に取り出せない。
普段食べているクルミにたどり着くまでどれだけの工程と努力があったことを思うと心から感謝の気持ちが込み上げてきた。
普段の食事も同様で農家がいて、配達する人がいて、販売する人がいて、加工する人がいて、料理人がいて
初めて自分たちが食べる状態までたどり着く。
食材ももちろん、食事にありつけるまでに関わったすべての人に感謝の意を込めて「いただきます」という言葉があることを
くるみを割ったことで改めて実感させてもらった。
何にもしない日だからこそ普段の生活にフォーカスされ、「生きる」ことを深く思う一日となった。

PS.今日〆は最高の夕陽でした
To be continue
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