生きるとは「音」がする
生きるとは、音がする
山に来なければ、気づくことがなった、無音の世界
そして生きているとは、音がするのだ。
そのような世界に生きてるのに、色んな音が混ざり合う世の中だから
一つ一つの音に気づけないのだ。
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今回の山はここ最近の集大成だった。
まずは「生きることは、音がする」
これは今回雪山で気づかされたことだ。
普段生きてて無音の空間っていうのはなかなか遭遇できない。
人は動けば、モノが動けば、風が起きれば、雨が降れば、など
とにかく必ず何かが起きた瞬間、音がでる。
その音が何もなくなった時、人はすべてが無になることを体感した。
足の先から頭の頂点まで一本の柱で繫がる感覚だ。
今回の山でその感覚が研ぎ澄まされた。
量子は波であり、粒である性質をもつ二面性がある。
音も同じだ。
空気が振動して波であり、その波が鼓膜を通して脳で言語化、思考処理される。
今回音について深く考えていた。
歩く音、食べる音、指を動かす音、水の音、風の音、木が燃える音、一つ一つ注視すると、全部違うのだ。
同じ音が一つもない。
さらには音は音が出る物の存在を表すことができるのだ。
それが音の性質だ。
そんなことを深く考える山の一日だった。
CBDについても
身をもって深く体感した。
CBDとは医療分野で活躍しており、大麻の成分に含まる日本でも合法の成分だ。
体温調整など行う、すべての人間が体内に持つカンナビノイドシステムが発動すると、何かが起きる。
より感度が高い状態で今回体感したため
違いの凄さ、カンナビノイドの可能性を体感した。
今回一緒に山へ行ったパートナーと飛騨牛をどう調理するかに対して
真剣に熱く語りだした。
真剣に話する僕らを客観的にみて、改めて今後も面白くなるなと思う出来事でもあった。
単なる飛騨牛の調理法なだけなのに、
こーしたらもっと美味しくなるとか、こうしたら、飛騨牛のよさを引き出される、とかお互いの意見を交戦する。
そして最後はちゃんとお互いの意見の元、答えを導き出す。
これは今回が飛騨牛の調理法であったが
普段は仕事の面に関して真剣に話しているから、面白い。
自分たちの知恵をフルに出し合い、一番ベストなアンサーを
常に出し続ける。
それが正解不正解は進んでみないとわからない。
しかし自分たちのベストを尽くしているから、何が起きても問題ない。
何か問題が起きたら、その時考えればよい。
そんな形でいつも物事を進めている。
それを今回は飛騨牛でのやりとりで、普段の日常が
いかに濃い人生を選択しているのかと気付く出来事でもあった。
今回「生きる」について考えることが多かった雪山編。
そこで忘れてはいけないのは
胸の高さまで積もった雪かきだ。
雪かきをして道を作らなければ、スコップも取れず
家にも入ることができない。
雪山ならではの出来事だ。
雪かきをした後、火おこしをする。
暖炉をつけなければ凍死する。
火をつけても家が温まるまで時間がかかる。
生きるって色々と手間がかかる。
だからこそ普段感じることのない感覚や
普段の生活がいかに楽に生きられるようにアレンジされているのか。
色々と学びや体感することができる。
ご飯の面も同じだ。
水を汲みに行き、食材を切り、ご飯の準備をする。
普段外食が多いと、食に対して疎かになってしまう部分がある。
お店で頼めば出てくる。
今ではウーバーイーツなど、スマホ一つあれば、すぐに自宅まで届けてくれる。
そんな簡易的に食事をとれるようになった時代だからこそ
食への感謝が薄れるのもわかる。
しかし山に来るとすべて自分たちでやらないと、食事にはたどり着けない。
普段の食事までたどり着くのに
農家があり、配達業者があり、料理人がおり、お店があり、はじめて自分のところに食事として形となる。
どれだけの工程やたくさんの人たちがいて、食卓に並ぶ食事となったのか。
今回は山で鳥鍋を作ったことで、先週名古屋で食べた宮崎鳥鍋がどれほどの労力と想いが詰まって、宮崎鳥鍋のつくねになったのか、食事について深く考えさせられた今回の食事と準備であった。
山は本当に学びが多い。
特に自分自身と向き合うことができるので
自分を改めて見つめ直し、次なるステージへと
準備ができる。
そんな場所だ。
みんな違ってみんないい
色んな人と出会うことで、いろんな刺激を受け
様々な出来事を体験して、そして成長する。
生きるについて
音について
食事について
そして
みんな違ってみんないい
今回の雪山旅は、本当に「地球で生きる」について学ぶ良い時間であった。
よろしいですか?
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