渡嘉敷島 Part2

 ダイビングの日。

ダイビングとは海の中に潜るスキューバダイビングのことだ。
ダイビングをやったことがない人のために、少し解説する。

スキューバダイビングは酸素ボンベを担いで、海に入る。
海の中ではそのボンベから出る酸素のみが頼りだ。
これがもしなくなったら、海上まで息を止めて上がるか、もしくは溺れるだけだ。

波にのまれたり、ボンベの不具合で酸素が吸えなくなる可能性もあり、いつ何が起きてもおかしくなく、少なからず命の危険性もあるのが、ダイビングだ。
だから一緒に潜る人たちは仲良くなる。危機的状況を共に過ごすほど人は距離が近くなるのだ。

海の中は圧が強いので10m潜ると地上の倍以上の圧がかかる。
だから耳抜きといって、空気を耳から抜くことをしないと、鼓膜が破れたり中耳炎になる。

説明はこれくらいにしておき、海の世界へ。

海の中はほんとに別世界。
まず音がないのだ。
プールや海に入ればわかるが、耳が水に浸かると音が消える。
それが深く潜れば潜るほど音がなくなるのだ。

これを海中世界と呼ぼう。(勝手に決めた笑)

海の中から海上を見渡すと、光が屈折して入りこんでおり、「光のカーテン」を創り出す。
これも海の中にいる特権である。

お魚たちが優雅に泳いでいるところを一緒に泳ぐことも可能。
魚にもなれるのだ。

海の中はたくさんの生物が生息しており、中でもウミガメや鮫などに遭遇したときは、海の中に来てよかったと思える瞬間でもある。


この渡嘉敷の絶景ポイントの一つが、サンゴ礁だ。
サンゴ礁は20-30年くらいかけ光合成しながら育つ生き物だ。

光の届く海上から30m圏内にしか生息できず、近年水温の上昇で絶滅しかけているとも言われている。

ここ渡嘉敷では近年水温も自然災害も共に大きな出来事がなく良好であり、ここ数年で一番良いサンゴ礁ができているとのことだ。

実際に海中に潜ってみると、両手を最大に広げた長さより大きい、テーブルサンゴが山のように出来上がっていた。

今まで見たサンゴ礁とは比べ物にならないくらい大きく、これには正直感激した。

ウミガメも三匹ほど遭遇し、鮫にも遭遇した。

魚やサンゴ礁、ウミガメや鮫、
海の生き物とふれあい、
僕ら人間はこの酸素がなくなったら生きられない、という人生ゲームの世界におり、限定された条件下だからこそ、たくさん経験したくさんの学びを得ようとする向上心や探究心が生まれる。

またこの酸素ボンベから酸素を吸う世界、と酸素ボンベを吸うのをやめ海上まで必死に上がらないといけない世界、などこの地球には同時に無数のパラレルが存在している。
と思いながら海中を過ごす濃く詰まったダイビングだった。

ダイビングをしたことない方は、ぜひ一度体験でよいのでダイビングをおすすめする。
異世界への始まりと共に、今までの世界観とはまるで違う価値観が生まれる神秘旅となる。


午後からはせっかく島へ来たので、島巡り。

あらかじめ、地元の方々にこの島のことをおススメスポットをリサーチしておいたので、スムーズな散策が始まった。

北から南まで展望台が数多くあり、展望台巡りと共に島を一周した。
もちろん、商店に立ち寄りサーターアンダギーを片手に(笑)

その途中、島の北方には戦争時、米軍に追い込まれ集団自決した跡地が残っている。
「逃げ場を失い、米軍の捕虜にされひどい拷問を受けるならば、国の勝利を願いここで自決を選んだ」と書かれていた。
その当時のことを思うと、戦争がいかに残酷で、現代がいかに平和である。

今「生きている」ことがどれだけ幸せで有難いことか、改めて実感する島巡りとなった。


そして毎度のごとく夕方になると目指すところがある。
そう、太陽と共に生きているので目指すは夕陽である。
昨日のうちにベストポジションは抑えていたので、レンタカーを返却後ベスポジへ。


毎回夕陽をみて飽きないのか、と思う人もいるかもしれない。
僕はとても飽き性というか、多動症なので、同じことができない。
けど夕陽は晴れた日は基本的に毎日見ている。

なぜかというと毎日同じようで毎日ほんと違う。
そして毎回夕陽を見ていると感謝の念が心の底から湧き上がってくるのだ。
「今」この瞬間まで生きててほんとよかったと思えるのだ。

色んな感情が湧き上がると思うが、夕陽には生きててよかったと思えるパワーがある。

そして地球自体そのものが「芸術」であることを教えてくれるのだ。

今日は夕陽が落ちるのと共に現れたのが、三日月までいかない二日月である。

マジックアワーと二日月、そして一番星。
これこそこの瞬間にしか見ることができない芸術だ。


マジックアワーと共に、白き美しき阿波連ビーチを歩いているとここは「天国?」と思えるような感覚となった。

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夕食後最後の最後で待っていたのは「満点の星空」だ。

360度星空。
天然のプラネタリウムだ。

しかも雲一つない大快晴。
天の川まではっきり見れる星空は、今まで見た中でもトップクラスだ。

導かれるままに、とはこのことだ。
一昨日始まった射手座の新月(つまりほぼ月明かりがない)
そして月はすでに落ちており、雲も一つもない
つまり星空を見るのに全ての条件が揃っていたのだ。

星空を見る矢先、流れ星が現れる。
そのすぐにまた流れ星。
しかも流れ星が濃くて長いので、はっきり観察できたのだ。

何から何までいたせり尽くせりだ。
地球を愛し地球に愛され人生を愛す。

帰る日の船も午前だけ出航して、午後は欠航という船便までもが味方してくれたのだ。

最後の最後まで渡嘉敷島を堪能する旅であった。
このブログを書いてて思うが、たった36時間しかこの島に滞在していないのに、この濃厚さ。
動き回っていると沢山の人に出会い、沢山の出来事がおき、沢山の事を氣付き学ぶ。

普段の1秒と島にいる1秒、同じ時間であるが全く違う。
それがようやく言語化できるように、体感で理解する渡嘉敷島旅であった。

また次回、その1秒の違いを書くことにする。

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