動物からの地球人
どうぶつの話
ここ最近は生命について考えることが多くなった。
「生きる」とはいったい何なのか。
これは長年の疑問だ。
心臓が動いてるからなのか。
呼吸をしているからなのか。
それとも脳が動いてるからなのか。
こればっかりはいつも色々な方向性で考えて、最終的に考えるのやめる。
(キリがないのだ笑)
でも最近ふと思うのは「今」というこの瞬間があることが
「生きる」ということなのではないのか。
と思うようになった。
その「今」の瞬間を体感できるから生きてるのかと。
これは長くなるので、また今度書くことにする。
今年に入り実家で犬を飼い始めた。
小さな柴犬だ。
この柴犬は生後一週間で我が家に来たため、
犬なのに犬に育てられず、人に育てられた犬だ。
初めのころは、おしっこの仕方や水の飲み方もめちゃくちゃだったが
成長して大きくなるにつれてちゃんと犬のように立ち振る舞うのだ。
さらに最近になり、発情期に入り、犬小屋や足などに腰を振るのだ。
それを見て、感動した。
なぜかというと、うちの犬からしたら、人間からしか育てられておらず、犬の親から育てられてもいない。
他の犬がどう生きているのか全く知らないにもかかわらず、発情して腰を振るのだ。
「発情すると腰を振る」
このことが犬のDNAに刻まれてるとしか言えない事実だ。
人間には「思考する力」が備わっているが、根本的なものは変わらないと思う。
すると人間も同じで生存本能としてDNAに刻まれているということだ。
つまりそれが生存本能だけではなく、他のできごともすべて同じことがいえる。
僕ら動物はDNAに刻まれたことが基本ベースとなり生きている。
この肉体以上の物質現象を起こすことは難しい。
肉体という制限があり、DNAというプログラミングのように刻まれた機能で生きている。
制限がある世界、だからこそより自由により楽しもうとする。
この地球に来た意味がここにあると思う。
不自由があるから自由を体感できる。
制限があるから経験を積んだ学ぼうとする。
柴犬が発情して腰を振るのを見て
この地球の面白さを体感する一件となった。

To be continue
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